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【今日の論文】アゼルバイジャン社会のレジリエンス

今日の論文

Azar Babayev & Kavus Abushov (2021): The Azerbaijani resilient society: explaining the multifaceted aspects of people’s social solidarity, Cambridge Review of International Affairs, DOI: 10.1080/09557571.2021.2020214

はじめに

アゼルバイジャンがどこにあるか、みなさんご存知ですか?コーカサス地方、トルコやシリアのちょっと上あたりです。アルメニアとナゴルノ=カラバフ紛争を抱えている国、もしくは天然資源に富んだ国と言った方が良いでしょうか。

そんなアゼルバイジャンという国の、社会と国際関係について考えよう。

そもそもこの論文にあたったのは、政治・社会研究手法のモジュールにおいて、フォーカス・グループインタビューで得た情報をいかにプロセスするかを検討するためであり、中身自体は議論の対象ではなかった。なかったのだが、私がこの前長々書いた「安全保障の概念」と繋がってくる部分と、私の興味のあるアイデンティティとの繋がりの部分があって、その二つについて面白いと思ったので、こうやってNoteに書き起こしている。

概要

この論文についてさっくり要約しよう。これはアゼルバイジャン社会及びそこに属する個人のアイデンティティが、問題が起こった際に柔軟な対応ができる社会(レジリエントな社会)を作り出しているのかを検討する。リサーチ・クエスチョンを抜粋すれば、

What local structures and practices make Azerbaijani society resilient to face the challenges of time, and to transform in response to complexity?

である。そのために’Social Resilience’の側面に着目し、フォーカスグループによる聞き取りからアイデンティティとコミュニティの機能を探る。結論として、3点ー過去と将来に根差したアイデンティティ、地域レベルのコミュニティ及び動員性ーがあることを述べている。詳細は本文を読んでください。

ほんでから

①Resilienceに関すること

安全保障の概念で、Unknown Unknownに対応する方法としてレジリエンスの概念に触れた。共同体が持つ過去に対するトラウマや学習記憶から、「将来に似たようなことが起こるかもしれない」と思っていながらも、それがいつどこで起こるのかわからないので、柔軟性の高い社会を作ろう、というものだ。それが周辺的なものを切り落とす方式を取るのか、もしくは元に戻す形にする方式を取るかなどは色々解釈が別れるところだ(同じ概念に対して解釈が別れるのは毎回どうなのかと思うのだが)。

じゃあ実際にResilienceはどのように生じるのか?という問いに対して、この論文は一つの解答案を提示すると思った。つまり、共同のアイデンティティ(将来に対するビジョンの共有)とローカルレベルの関係(血縁・近隣関係)が問題が生じた際のセーフティーネットとして機能しているというわけだ。実際に国際関係上での問題がーアゼルバイジャンなら常にナゴルノ=カラバフを抱えているわけだがー発生した時に、政府レベル・社会レベル・個人レベルでインパクトが異なるわけで、社会レベルでの吸収を説明することは可能なんだな、と思ったわけだ。

②スケールに関すること

ここでついでに、Critical Geopoliticsという概念に触れよう。これはすご〜く雑に要約すると、ナゴルノ=カラバフ紛争をただのFrozen Conflictとしてではなく(客観的に存在する紛争)、アクターの認識によってその意味合いが変わってくる(主観的な存在)として捉え直そうというものなのだ。結論としてはFrozen ConflictとEnduring Rivalryを区別することで戦いを導くことなく解決しようというものなのだが、詳細はこちらを。

Broers, L. (2019). ‘Introduction: Beyond ‘Frozen Conflict’, in Armenia and Azerbaijan: Anatomy of a Rivalry, Edinburgh: Edinburgh University Press. Available at: https://www.jstor.org/stable/10.3366/j.ctvrs91nw.6

ここでは、先述の論文と組み合わせて、そこに2つのスケールが存在していることに触れたい。いち、Internaitonal-state-individualのスケール。私が興味を持ち続けている教科書問題などは、この3つのスケールの間を繋ぐ問題だと思うのだ。個人レベルの感情・アイデンティティが社会レベルに昇華され(lift)、国家に反映され国際関係に影響する。その逆も然り。アゼルバイジャンの事例を読みつつ、この3つを行き来しています、というのは研究のRationleになると思った。

ついでに、past-present-futureのスケール。私が興味を持ち続けている教科書問題などは、この3つのスケールの間を繋ぐ問題でもある。過去の事例が、現在の感情形成に寄与し、将来の政策形成に寄与していくわけで、そこに2つのスケールが絡み合っているわけだ。

こうやって言ってみると、ちょっと私が興味のあることを説明するのに役立つのかもしれないな、と思うことがわかるだろうか。私にしかわかっていないかもしれないです。

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