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英国卒論日記 【終】

気づけば時は経ち、あと1週間で卒業論文の締め切りになって、結局言いたいことを綺麗に言うために試行錯誤していた。2週間寝かせた卒論は(その間に3000単語を2本提出したので)、蓋を開けてみたらぐずぐずに腐っていた。12000を絞って捻って書き直して9990になった。

寝て明日に持ち越そうと思ったが眠れない夜で、ペタペタとサンダルがわりのビーサンをつっかけて談話室に降りた。入寮して初めて行った談話室にはパソコンを抱えた個人が何人かいて、静かにパソコンを叩いていた。窓際に陣取って、私もその仲間入りをする。窓の外をたまに車が走る、静かな夜だった。

これほど、他者が同じ空間にいることを感謝した夜はなかった。

静かに3時半までパソコンを叩いて、翌日9時に起きた。健康的だ!


私は私のことが嫌いだが、私は私が書く文章がとても好きである。Noteに起こしている文章はちょっと適当だなと思わないこともないが、核を書き起こしたような文章は、自分でも読み返す。ここに出していないたくさんの文章も、たまに読み返しては泣いたり笑ったりする。そういう人間だ。

だから、エッセイに表出する文章も、その一文いちぶんを大切に思っている。イントロはああやって描き直そうかなと大学帰りに思って、ファイルを開いてみたらそのまま書いてあったりすることがあって、いいじゃん自分とか思う。私は私の文章がとても好きだ。好きだから、全然進まない。


Reference listを見すぎて吐き気がした。人間はいちにちで卒論の参考文献リストを作ろうとすると吐き気を催すらしい。過去に使ったもののコピペも含めて125あった。なんか間違えてるかも。ちょっと減らして116になった。どうしていちにちでやったんですか?(同じ日にやらないと、別のチャプターでこれ使ってたからいらないなっていうのがわからなくなるからです)。ちょっと増えて120まで戻った。チッ。


私の卒業論文の参考文献には、
Miller, M., C. (2023). ‘No apology necessary?: How narratives impact redress for colonialism in Namibia and India’, International Affairs, 99 (4), pp. 1693–1717. Doi: 10.1093/ia/iiad118.
という論文が入っている。

外務省には、北棟に図書室がある。覚書を確認してきたがこれは普通に公になっているので機密にしなくていい事項である。そこにはInternational Affairsが物理的な本として置かれていて、インターン最終日に空いた最後の1時間、局内チャットで「お散歩してきます!」と一方的に宣言してたどり着いた図書室で立ち読みしたのがこの論文だった。え〜International Affairsあるじゃん!と大きく静かな建物の中で古株の友達を見つけたような気持ちで、ついでに面白い論文を見つけて私は大変幸せであった。大学でアクセスできるのはデジタル版なので、こんなところにあるんだなあとひどく感銘を受けたのであった。後からオンライン版で読み直して、MemoryをLawやpoliticsだけではなく、TJにつなげたこの論文は、卒論において非常に重要な方向づけをした、そんな論文であった。


たかが学部の卒業論文、こんな思いを込めなくて良いのだと思う。劇重感情を持って何かに接して良いことはあまりない。だけど、好きそうなものを好きに追いかけるということは、すごく苦しくてしんどくて、でも楽しくて満たされることだと思うのだ。

と言うわけで、卒業論文を提出いたしまして、わたくしはまた一歩大学卒業に近づきました(落第することは流石にないと思うので)。

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