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【日記】移民・末路

私の後ろに立っていた老人が、モゴモゴと何かを呟いた。


ヒースロー空港の入国審査は、かなり並ぶ。天井が丸いタイルに彩られたあそこである。自動改札みたいなのを使えるはずなのだけれど、私は在留許可カードを持っているからなのかなんなのか、私は毎回対人じゃないと機能しない。自動改札に並んでみたら今回もダメで(ごめんなさい)、後ろで忙しく捌いていたおばさんが、「ごめんね〜大人のカウンターの方行ってくれる?」と声をかけた。

ごめんと言うとは、珍しいなと思った。こういうところの係員さんは、無愛想で不機嫌なことが多い。

というわけで対人カウンターの方に回されて、私は並びながらぼーっと新書を読んでいた。いたら、私の後ろに立っていた老人が、モゴモゴと何かを呟いた。こういうのは無視するのが最適解だが、日本から帰ってきたばかりで危機感が鈍っていて、後ろを振り向いてしまった。

老人は、私の前の老婆に話しかけているようだった。ああ、夫婦か。You are together?と聞いたら、Yeah but it’s our problem don’t worry と帰ってくる。夫婦の間に立ってつぶやきを一身に受け続けるのも嫌なので、順番を譲る。夫婦ならご一緒にどうぞ。「いいのに」というので、別にいいですよ、と返す。

私の前に進んだ老人が、少しして振り返って、We’ve been together for 55 years this year とイタズラっぽく笑った。Be togetherは結婚しているという意味にも使えるから、なかなか気の利いた返しだ。じゃあ無視できないですね、と私も笑う。「息子が50歳なんだ」じゃあ、私のお母さんと同じくらいの年代だ。お孫さんも?「21歳と12歳と9歳がいる」それくらいの年齢だと成長段階を見られて楽しいですね。

しばらく会話が弾んだ。強いロンドン訛り(DayをしっかりDieと発音したのでオーストラリア寄りかもしれない)を聞き取りながら、列に並びながらこんなに話すとは、係員さん然り老夫婦然り、なんか人情みたいなものがあるなぁと思った。

シンガポールから帰ってきた時には、ロンドンはなんて冷たい街なんだと感じ入ったのに。


髪を染めたので、近所の薬局にムラシャン的なものを探しに行った。うちの近所の薬局は、チェーンのクセに(クセにとか言うな)店員がいっぱいいて、少し棚の前を彷徨いていると声をかけられる。今回も声をかけられる。なんか、髪をちょっと染めつつカラーを保てるシャンプーみたいなのって売ってます?「いや、ない気がするけど、待ってね…?」声をかけてきた責任感か、しばらく一緒に探してくれるが、そんなものはない。私たちのやりとりを聞いていた女性が横で、「ずいぶん便利なシャンプーじゃない?」と言うので、ちょっとシャンプーに期待しすぎかもね、と返す。その女性が、カラーを保つのに良いシャンプーを勧めてくれる。「〇〇っていう美容院に売ってる△っていうのがいいよ」。店員さんまでも「参考にしたいから」と言って会話に入ってきて、期せずしてカラーリングに関する井戸端会議が始まったのだった。

意外と、人情じゃないか。


日曜日の朝、4時に目が覚めたので家の外をぶらぶらして、眠くなったので帰ってきた。7階の廊下に、裸足の男性と中年の女性が立ち話をしている。なんでマンションの廊下で裸足なんだよ。ちょっと深刻そうに見える。通るには横を通らないといけないので、できるだけ好意的に見えるように、Helloとだけ声をかけて通る。後ろで、「ほら、ここって外国の人も多くなったじゃない?(It’s getting more international here as well)」という潜めた声が聞こえた。

前言撤回。Internationalな大学で大学のお金をもらって交換留学に行ったりしていたから、すっかり忘れていた。多様性は軋轢の宝庫だ。

私はそれが、ここって外国の人も多いから、交流のためのソーシャルのイベントをするべきじゃない?だったのか、ここって外国の人も多くなったから、ゴミ捨てのマナーがなってないじゃない?なのかは分からなかった。だけど、声のトーン的には、後者だったのではないかと思う。だけどそれは、私の偉大なる被害妄想だ。

だけど、それがどちらだったにせよ、移民を受け入れる社会の末路なのではないかと思う。私は今、コロナ禍でそこそこ値段が下がっていたマンションに住んでいる。本来の住人は英国の高齢な人たちが多いから、アッパーミドルの棲家なのだと思う。だけど、コロナが終わって家賃が1.5倍に上がった今でも、アジア系を見かけることも多い。それは、今まで移民はこんな高い家賃を払えなかったし学生は寮に住んでいられたから、移民とアッパーミドルが住処をともにすることは少なかったのが、裕福な外国人が流入するにつれて話が変わってきたことも示唆しているんじゃないだろうか。外国の大学に私費で来られる学生は、かなりしっかりお金持ちの子供達なのだ。取り残される国民たち。

Diversityを標榜するには、民間レベルでの受け入れと共存が必要で、それは意外と、結構意外と、難しいのだ、と思う。そういう時に私は、こちらで結婚したり何年も暮らしている日本人たちの肩を掴んで、どうしてやっていけるのですか、と揺さぶりながら聞きたくなるのだ。


HelloじゃなくてHiの方が良かったのかもしれないな。もう1ヶ月で出て行くから、許してね。


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