2月5日

作家。こちらのnoteには短編・エッセイ・随筆などを主に掲載していきます。 内容はすべ…

2月5日

作家。こちらのnoteには短編・エッセイ・随筆などを主に掲載していきます。 内容はすべて創作物として綴っています。無断転載はご遠慮ください。

マガジン

  • 一筆書きの短編集

最近の記事

指輪とインターネット 2019

ようやく指輪が手に入る週末の朝にさえ、指たちはベッドの中でインターネットを求めている。 目が覚めるともう、親指が世界をまさぐっている。 まるで私自身よりも私の望みをよくわかっているみたいに、指たちは勝手にシーツを抜け出し、インターネットに触っている。 ボタニカル・テイスト、という商品説明に惹かれて通販サイトで買った手帳型のアイフォンカバーを開くと、1日の始まりにふさわしい神様のお告げを知らせるような雰囲気で、中国か東南アジアあたりの工場でてきぱきと製造されたアイフォンの

    • わたしたちの輪廻 15

      手塚さんという人が家に来たときに、もう少しきれいな人だったら良かったのに、と僕はとても残念に思った。 市役所戸籍課輪廻係の手塚涼子さん。 ものすごく美人でなくてもかまわないから、何となく感じのいい人、くらいの印象は持ちたかったのだ。 そういう嬉しい要素が少しくらいあれば、濡れ布団をかぶったみたいに息苦しい部屋の雰囲気も、多少は良い方向に紛れてくれるんじゃないか。そんなふうに、ちょっと期待していた。 ねえちゃんは受け取った名刺をどうしていいか分からずに、その日の説明が全

      • 夢と液体(小川洋子「薬指の標本」への蛇足)

        眠りこんでいた瞼をそっともちあげると、そのしぐさはまるで誰かのために唇をうすく開けて、時を止めてみせるときに似ている。わたしはそう思って嬉しかった。 待つのでもなく、待たせるのでもなく、ただ開いた唇のふるまいに酔うときみたいに、わたしはそのしぐさにできるだけ時間をかけて、気持ちがやがて飽きてくるまで、まだ眠気から抜け出せないふりをつづけて自分をだまし、それをじっくりと楽しむことに耽った。 からだはまだ、もう少しまどろんでいたいみたい。 ほら、ずっとながいこと夢をみて

        • 彼は形なきどうかどうかの結晶家(「生誕100年東山魁夷展」に寄せて)

          10代の終わりにわたしが住んでいた町には、春になると梅が若い女の人の唇のようにぷくぷく濃い紅色に膨らむゆるい丘があって、丘のふもとの森の中には木と木のすき間にすっぽりと埋めこまれた白っぽい箱型の小さな図書館が、のんのんといつも月が光りはじめるような夜おそくのじこくまで本の貸し出しを行なっていたのであった。 わたしはよくその丘のてっぺんまでをうねうねと歩き、つまりは目的地もないくせに意味もなく林の小道を蛇行しては「これぞ迂回!」などと天に叫んだりしていたのであるが、最終的には

        指輪とインターネット 2019

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        • 一筆書きの短編集
          10本

        記事

          明るい星と家庭教師

          じっさい宇宙人のことばかり考えている家庭教師はそんなにそうそう多くないのだろうとあなたが思うのならそれは大きな間違いで、やはり宇宙人のことばかり考えている家庭教師というのは世間一般に認知されているのと同じかそれ以上のかなりの人口にのぼっているし、彼らの大半はむしろそのために家庭教師をやっていて、それができなくなるくらいなら何のための家庭教師なのだと思っているし、その特権的自由を取り上げられるような危機が訪れようものなら、それこそ家庭教師権の侵害だ迫害だと家庭教師的正義を掲げて

          明るい星と家庭教師

          万物流転に棹させど棹させど。

          夏のきびしさも和らぎ おかげさまで平らかな心持ちの日々を過ごしています。 炎天の朝もこのごろは、 ギラギラとはげしくなる前のやさしい光線が 人の住むどこもかしこも全体を ひんやりと美しく照らして始まります。 そんな朝の景色が 壁の向こうでどこまでもどこまでも終わりなく広がっていく その様子を心で見つめながら 私が布団をしいて横たわっている此処は 終わりなき世界のいったいどのあたりなのだろうと もやもやと形の定まらない想像でできた地図を 人差し指で音もなくなぞっては遊んでい

          万物流転に棹させど棹させど。

          家族、店じまい

          ふたりの子どもたちが、家族という大きなひと塊から熟した実のようにほろりと巣立ち、アスファルトを持ち上げる緑が深々と繁る庭へと目をやれば、夢中でそこを駆け回っていた獣はうすく小さな白い骨の破片になって、もう動かない。 編み合わされた2人の男女の人生が、そこで古びて、そこに色をにじませて、今では死ですらも分かつことのできない、はっきりとした一本になったことを、20年近くかけて堆積した思い出の品々の中に、わたしは眺めた。 逃れたくてもがき、恨めしく憎んだその土地のことを、わたし

          家族、店じまい

          そうだ、マジカル・リサイクル・サービスを呼ぼう。

          マジシャンになりたいと思ったことは一度もない。 タネとしかけを育てるのにずいぶん骨が折れると子どもの時から聞かされていたし、ほとんどお手本に近い失敗例を間近に見ながら育ったせいだ。 僕のパパンは生まれて1時間もたつともうマジシャンになると言い出して、子どもの頃からその欲望に周りの人間を巻き込んできた。結局は運と才能に恵まれていないことが段々わかってきたのだが、パパンはそれでも人生のかなりの時間を費やして、マジシャンになるべくもがいていた。 (彼はマジシャンに敬意を表して、それ

          そうだ、マジカル・リサイクル・サービスを呼ぼう。

          熱血!マサチューセッツお味噌汁大学

          本日の講義はとてもエキサイティングなものになると確信しています。 人類の過去、未来、そしていま私たちが生きるこの現代を見つめ直すための貴重なワークショップとなることでしょう。 お味噌汁が人類史において発揮してきた類まれなる功績について。 みなさんと私とで即興のディスカッションを行い、そこに新たな意味と、今後の展望を見出すことで、我々がよりよく生きていくための一助としたいと強く願っています。 ではさっそく。 そもそも、みなさんにとって、お味噌汁とはいったいどういう存在でしょ

          熱血!マサチューセッツお味噌汁大学

          私家版・夢十夜

          嘘ばかりついている、という理由で、名前をとられた。 とられたのが名前だったのは少々意外な感じで、困ることもないだろうと3年ばかりほったらかしておいたけれど、一向悩ましいことも起こらない。あいかわらず嘘を売り売りして暮らしている。 ところがある夕暮れに、晩菜をつつきながらごろごろとしていると人がやってきた。こういう人を探している、と玄関先で紙切れを取り出して見せてくる。 住所の番地から何からすべて我が家のこの部屋に相違ないけれど、名前だけが不確かなので、仕方なくそのようにこたえ

          私家版・夢十夜