雨にも素敵な理由があるかもけど、豪雨に素敵な理由はないんじゃね?
雨が降っていると、ポルノグラフィティの「サボテン」を思い浮かべがちだけど、「天気職人」も思い浮かべる。
「天気職人」の歌詞では、「雨には誰かを想う時にこぼれる涙を隠してくれる」って言ってるし、私自身は人見知りだから、徒歩での外出時に顔を傘で隠せるから雨はいいって思う。
でも、程度による。
私の誕生日である7月4日(土)にあって、今も継続している「熊本豪雨」みたいな雨は勘弁だ。
熊本県は私にとって思い入れのある場所。
4年前、仕事や失恋で精神的に参っていた私が、その時ご縁があって訪れることができた場所。
今回、甚大な被害を受けた人吉市も球磨川も見て周ってた。
だから、かつて訪れた場所が微塵の形もなく、悲惨な状況になってるのをテレビで観て、ショックだった。
ましてや、なんで今年の自分の誕生日に。
しばらくは、道路も、鉄道も、飛行機?も、復旧するまでは熊本に行けないから、不謹慎だけれど、あの時行けてよかったと思う。
早く、状況が落ち着きますように。
早急に復旧しますように。
西日本集中豪雨から1~2ヵ月後に訪れた、因島も尾道もそうだ。
土砂崩れしたところに、ビニールシートが覆いかぶさってるのを見てたら、「山が」辛かったって言っているかのように、私にはそう捉えられて、泣けてくる。
今回の球磨川も、耐えられなくてどうしようもなく、迷惑をかけるしかなかったんだと思う。
ある意味、人間っぽい。
人ももちろんそう、でも恐らく、山だって、川だって、集中豪雨が起こると辛いもんだと、今回改めて思った。
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