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「ない自分」をつかまえる。宿泊療養中に感じたこと。

「昨日のPCR検査、陽性です。後日保健所から連絡がきます。」

8月の夜、一本の電話で空間が一変した。家族でテレビを見て笑っていた空間は静かになって、私は日常から切り離された。そんな気がした、あの日。ついさっきまで笑っていた瞬間が綺麗に切り取られて、代わりに不安が割り込んでくる。

職場の人へ移していないか。職場の方のご家族には小さい子もいるのに、どうしよう。家族は二週間自宅待機。その間、自分の職場・家族の職場にがっつり迷惑をかけてしまう。なんで今のこの時期にこうなったのか。自分の体調管理、ちゃんとやってる"つもり"になっていたのではないか。自分のケアをできてなかったのではないか。自分がどうなるのかよりも、周りへの不安と後悔と申し訳なさで頭がいっぱいだった。

きっかけは直前に会っていた人からの「陽性だった」という連絡。メディアは日々、増え続ける感染者数と、崩壊しそうな医療現場、そして自宅療養をする人たちの叫びを流し続けていた。この現状下で、自分が濃厚接触かどうか保健所の連絡を待っていては後が遅れる。「念のため検査を受けてほしい」という話もあり、急いで午後の休みを取って、検査センターへ向かったのだった。

そして次の日。幸いなことに保健所からの連絡があった。現在の症状、家族の状況の確認を経て、今後の療養方法が決められる。同居家族の仕事の状況も伝え、なんとか宿泊療養で調整してもらった。

夕方に感染対策が施された専用の車で療養先のホテルへ。中の様子が見えないようビニールで覆われた自動扉を通り、療養生活が始まった。

そこで過ごした10日間。

「療養者」として一括りにまとめられる、疎外感・孤独感・不安。それを話せる相手がいないしんどさ。友人・職場の人から、LINEで「大丈夫?」と連絡をもらっても、迷惑をかけている申し訳なさから「大丈夫です!元気です!」と相手に心配をかけないように取り繕った。社会的な繋がりを断ち切られた陸の孤島。強制的に他の人との繋がりを断ち切られた環境で、仕事もなにもすることがない。強制的に自分に向き合う時間が増えた。

「ない自分」をつかまえる。

自分の声に耳を傾ける余裕を持てないまま、仕事も演劇も忙しさに身を任せて、とにかく走ってきた。陽性の連絡がなければ、持つことができなかった時間。やることないなら、自分を向き合ってみよう。

まず、好奇心ではじめてみて、どハマりした演劇。今は声をかけてもらえるようになった。もらえるオファーはスキルアップに繋がる。いわば自己投資。本番が重ならない限りは全て受けて、とにかく必死に走ってきた。稽古でいろんな人からの刺激を受ける中で、他で聞いた話がこういうことかと思わぬ形で腹に落ちる瞬間があったり、文字でしか存在していない物語が、役者を通じて舞台上に立ち上がっていく過程も、何もかも好きでたまらなかったんだなと改めて確認することができた。

じゃあ、今後の自分について。今まで仕事や舞台の忙しさを言い訳にして逃げてきた課題。「これからやりたいこと」を、真っ白なノートを前にして考えてみる。

なにも出てこなかった。まっしろ。

出てくるのは「過去の自分」が考えていたことばかり。「今の自分」からは本当に何も出てこなかった。過去の自分が持っていた将来への希望、夢、やりたいこと。本当に何もでてこなかった。

普通の生活ができる環境で、恵まれた人たちとの人間関係があって。
困っていない環境で。

「今の自分は何を感じているのか」

30分考えてみた結果、

何も感じられていなかったし、何もでてこなかった。

振り返ってみれば、社会人になってから「自分」の優先順位は一番下になっていた。大学生の時は、好きなことを学べて、知りたいことを知るために自由に行動できてて、動けば動くほど、周りには知らないことがたくさんあるし、それを知ることでその先に見えてなかったものが広がる感覚が楽しかった。でも卒業が迫る中で、「大学卒業したら会社に就職する」という世間の当たり前に必死に適応しようとして、真っ黒なスーツをきて説明会・面接を受け続けた。何も考えずに感覚だけで行動してた結果、無駄の多い動き方になり、受けた会社は70社近く。

ようやく内定が出た会社に入社してからは、とにかく目の前に仕事に応えようと必死になった。もちろん仕事が楽しいと思える瞬間もあった。とにかく自立して動ける人であろうとした。けれど、それを覆い隠すレベルの違和感があった。年々上がっていく給料と、仕事の内容のアンバランスさ。目の前の仕事はもちろん全力を尽くしていたが、自分の頑張り以上に過剰に上がっていく給料の金額が、正直気持ち悪かった。そんな自分の声を聞こえないふりをしていたら、何も感じなくなっていた。周りの顔を見て、失敗しないように、先輩社員の複製のごとく、自分の意思は介在させないように、まるで黒子のように仕事をするのが当たり前になっていた。

体調が崩れている時は、自分と向き合う時。

療養中、経過観察期間に入って発熱したことで、一度延長になった(72時間、発熱しないことが条件のひとつ)。もうすぐ出られると思った矢先の延長に心が折れかけたが、看護師さんからの「つらいと思いますが、頑張りましょうね」という一言に素直に力をもらえた。しんどさを受け止めてもらえた上で、もう一踏ん張りできる力をお裾分けしてもらえた気がした。普段なら強がって「落ち込んでないです!」と返事していたが、この時ばかりは自然と溢れる涙をこらえて「はい」と返すので精一杯だった。この時、10日間で少しだけ自分が変われたように思った。

この10日間で気づけたこと。

自分の価値を自分で認めず、周りに認めてもらおうとしていた。
自分の大切にしているものを蔑ろにしていた。
物事に対して、ネガティブな切り取り方をしていた。

宿泊療養で感じた疎外感・孤独感。「いま」を作っているのが、「過去」の自分の選択の結果であるなら、「ひとりでありたい」「周りに迷惑をかけたらダメ」と無意識に思ってる自分が作り出したものかもしれない。こう気づいた瞬間、友人や職場の人からの「大丈夫?」のありがたさに、ようやく気づくことができた。これからは素直に「助けて」と言えるようになろう。そして自分の声はちゃんと聞く。そのためにまずは感じる。

陽性になって、自分に何もないことに気づいて、呆然とした。でも、だからこそこうして改めて気づけたものが多くある。

今回、職場の人、演劇関係の人、そして家族、友人。多くの人たちに、謝りきれない迷惑をかけた。それはこれから少しずつ返していく。もちろん人なので、ムカつくことも、合わないと感じることもたくさんあると思う。それでも、感謝・尊敬を忘れない人でありたいし、もっと人との繋がりを大切にできるひとであろうとも思った。

現実は変えられないが、切り取り方は変えることができる。

これからそれを結果に結んでいけたら、「ない自分」もいつか見つかるような気がする。

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