mana
息をすることも、イスに座ることも、むずかしさを感じてしまうくらい、どうしようもなかった。息をとめることが癖になって、ベッドに横になることに慣れてしまった。たった2日間くらいのことだったのに、とてもとても長い時間だった。こういう時間を乗り越えていかなきゃならないと思うとやるせない。
叱られたあとは、たくさん頭がはたらく。
わたしのことをだめだよって言ってくれる人が一番貴重な存在だと思う。自分でもだめなところがたくさんみえてるのにたくさん言い訳して、どんどん後回しにしちゃう。自分の役割をきちんと果たそう。決断するということはたくさん考えることが必要だということ。考える時間をきちんともとう。
たのしいけど切ない、すきだけどこわい、笑っているけど泣いちゃう。そんな恋みたいなものが、描くこと、撮ること、纏うこと、歌うこと。
大切な宝物たちをもってきた瞬間、捨てろといわれる気持ち。大切な人からもらったものを即処分しなさいと言われる気持ち。
いろんな人にお手紙かこう。たくさんたくさん届けたい、感謝のきもち。ありがとうって何度かいても書ききれない。
教育学部だったんだけど、自由に教育について話しをする場面が少なかった気がする。正解がないから学んでいるのに。なぜかまじめに話すのを避けていた気がする。逆にちがう立場の人たちとたくさん教育についね話した。
散っていく花に切なさや美しさを感じるのは、誕生と別れの記憶があるからなのかもしれない。そんな誰でも経験したことのある思い出なのに、その人だけのストーリーをもっている。
世界は美しいが、世界を言葉にできない。だから芸術が必要なのだ。(ペンギン文庫)
迷ったら別の道をさがせばいいだけ。
大切で伝えたいはずかしいきもちは、指先で届ける。
この人苦手だな、とかあんまり得意じゃないな、とか思うときって、実は自分のもってる思いとかをちゃんと伝えられてないときかもしれない。だから相手もてきとうになる。
ひとりになることを恐れず、じぶんの心を存分に広げていれば、人とうまくかかわれる気がする。だれかに共感できるようになるには、自分の喜怒哀楽を研ぎ澄ませることだと思う。
もうすこし肩の力を抜いていこう。
今のじぶんに落ちる文章。 https://note.mu/yuukee/n/n4df0f7beb486
あの人の5年後に、わたしがいるかいないかわからない。でも5年後もここにいるという発言から、なんだかもういいやと思えた。わたしは1年後のこともみえない。