小西大樹「ルーツはここからかもしれない」#8 中谷佐喜代④

一晩我が家に泊まって、お義姉さんは翌日の早朝、朝もやがたちこめる中を出発されたのでした。

「ああ、佐喜ちゃんとゆっくり話せて良かったよ。本当はさ、こんな広いお家の掃除でも手伝ってやりたいんだけどねえ。実家に帰る、って嘘ついて出て来たからさあ、一応本当に寄ってって来るわ。佐喜ちゃん。色んな人に可愛がって貰うんだよ。それがあんたの取り柄なんだからね?後は無理すんじゃないよ。あんたの兄さんもああは言ってるけど、あんたの事は気に掛けてるんだからね。」

「お義姉さん……お義姉さん、どうも有難う御座いました。お義姉さんも兄さんもお身体に気を付けて下さいね。章ちゃんや律ちゃんにも宜しく言って下さい。お元気で。お気を付けて。ご実家の皆様にも宜しくお伝え下さい。」

お義姉さんは、痛い膝を庇いながら、ご実家へと向かわれました。

朝食の後片付けをしておりますと、玄関先で、どなたかのお声が聞こえました。木戸を叩く音もいたします。

あまりこの家には人は寄り付かない様になっておりますから、恐る恐る玄関先に参りました。

「ごめん下さいませ。佐喜代様、智子です。朝早く申し訳ございません。」

柴田家の女中の智子さんでした。

「まあ、智子さんでしたか。お早うございます。いらっしゃい。どうぞお上がり下さい。」

「お早うございます。こちらにお伺い致しますのが遅れてしまい、申し訳ございませんでした。」

智子さんは、この家に住み込みでいらして下さる事になっておりますが、成保様の御結婚のお式やその後のお屋敷での様々なご用事、後輩の女中の引き継ぎを終えるまでは、それは適わないと伺っておりました。

「もうお屋敷の方は宜しいのですか。お疲れになったでしょう。」

「あ、佐喜代様、洗い物など私が致します!佐喜代様はどうぞお部屋でお休み下さいませ。」

今まで自分の事は自分でいたしました。その上でお屋敷の皆様にお仕えさせて頂きました。

自分の部屋で寛ぐなど、とても私には恐れ多くて、出来そうも有りません。

「……でも、智子さん……。」

身の置き所が無いとはこの事でしょうか。

「佐喜代様、あなた様は成保坊ちゃま……いえ、旦那様の奥様におなりなのです。こちらのお屋敷の女主人なんですから、私を顎で使って下さらないと……私が旦那様にお叱りを受けてしまいます。」

「ま……そんな事を……。」
「はい、佐喜代様にはそれ位のお心でいらして頂きませんと。」

智子さんは冗談とも本気とも判断のつかない可愛らしい笑顔で私から仕事を奪ってしまいました。

「あの。お式は来月なのに……もうこちらにいらして大丈夫なのですか。」

「佐喜代様、私にその様なお言葉でお尋ねなさらないで下さい。お願いします。大奥様が、来月まで佐喜代様お一人では、色々危ないし、旦那様のお渡りもお式の後と決められたとかで……成保様からも是非、私だけでも一足先に佐喜代様の元へ伺う様に、と仰せつかりました。」

大奥様が……成保様が……。いきなり独りきりでこの家に住む事は、心細く寂しい心持ちではありました。

「有難うございます。嬉しいです。実は……心細かったのです。」

後輩の女中であった智子さんは、一層笑顔になって私の目の前にやって来ました。

「良かったです!私、一生懸命仕事の引き継ぎをして参りました!早く佐喜代様の元へ来させて頂きたくて!さ、あちらでお座りになって、お待ち下さい!今お茶をお淹れ致しますから。」

「えっ、お茶なら、わた……。」
「奥様はそんな事はなさいません。さ、こちらですよ、奥様。」

智子さんは、私の背を押して、台所から追い出してしまいました。

それからも、必ず「お願いしますから」と一言添えて私を指導なさいました。

教育を受けている様でございました。

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