叫びたかったから書いたという理由


 書いたのは、自分が叫びたかったから。読んで頂こうと思っていなかった。吐けるところを手動日記以外で求めていた。腱鞘炎を恐れて。
 ブログ?エッセイ?なんだろう?もう、何でもよかったのかもしれない。
 根底には不承認欲求が満ち満ちていることをお断りしておきます。
 承認欲求ではありません。まあ、有料にしておけば読まれないだろうと思いますが、念の為(笑)
 認められるとは、誤解を生むことなんですよ。お分かり頂けるかなあ。
 自分が、これは好きじゃない。嫌いだな、って思っていることが「え?好きでしょ?得意でしょ?」と言われる虚しさ悲しさ情けなさ。
 「いえ、大嫌いなんですよ」
 「嫌よ嫌よも好きの内」
 「はぁ?本人が嫌だって言ってんだよ!」
 ……とまあ、こんな風に正反対に誤解され尽くしていたら、叫びたくもなりますって。認められるという事は、私にとっては、甚だ遺憾な誤解である。誰にも理解されていないと切なくなるのです。
 分かって欲しいと話したり書いたりしていると、「何、それ自慢?」と嫌味に取られる事も屢々。もう、誤解を解く為にドツボ。これも真逆じゃないか!
 挙げ句の果てに、「表層意識と無意識は違う」とか「魂がやらそうとしている」とか「ハイヤーセルフがやらそうとしている」とか言われる始末。
 いやいや嫌嫌否否……。私はそっち方面が気味悪くて苦手なんです、切り離して考えたい。私は私の意識で動きたい!
 内観なんてやりたくもない。知らない自分がいるらしい。気味悪くて嫌だ。
 だってマンデラエフェクトに遭うまで、自分の世界を閉じて生きて来たから。認められるのは嫌だったから。これ、普通ではないらしいですね。普通は認められたい、褒められたい、と思うそうです。承認欲求ってやつですね。
 私はある理由から、褒められていました。褒め殺し、かな。
 それは遅生まれが理由の一つになります。
 後一日早く生まれていれば、前の学年に滑り込みセーフ。という事は?学年で一番早く誕生日を迎えます。

 保育園時代から、なんやかんや保母さんから重宝されていた。これは裏を取ってあります。成人して大分経ってから母に聞いて、やっぱりな!子供の頃に感じたことは正しかった!と思いましたもん。
 お遊戯会とかあるじゃないですか。あれ、人数が少ないど田舎でも、一人一つ踊り(親と一緒に全体で踊るものは別として)やダンスがあるのが普通です。
 私は三つくらいやらされて、年長時にはお芝居じみたダンス付のやつまで(シンデレラの王子様役)やらされて、同学年から「愛美ちゃんは忙しくて大変ね」と嫌味を言われる始末。ちゃんと保育園児だっておかしいと分かるんですよ。何故、私だけこんな居残りをしてまで、踊りやダンスや芝居未満の振り付けを覚えなくてはならないのだ?しかも背の高い男の子がいるのだ。何故私が王子様役なのだ!イジメに近い嫌味を言われました。女の子なのに王子様だって。変なの!男の子の立つ瀬がないですよね。

 保育園と母の実家が目と鼻の先だったから?母は私を保育園へ預け、実家の小さな工場の下請けの下請けのアルバイトをしていたから送迎に無理がなかったから?も考えました。 

 それもあったかもしれません。が、後に保母さんが「本当は愛美ちゃんにもっと色々やって欲しいんです。覚えが早いから楽で。でも、そうはいかなくて」
 と、母に話したそうです。
 もっとやらそうと考えていただと!?
 しかも楽だから?覚えが早いから? 
 ほら、ここで誤解されています。一日早く生まれていれば前の学年だった私。覚えが早いのではなく、先に成長していたら誰だって出来ることなのです。勘違いも甚だしい。
 しかも、誰も信じてくれないのですが、私は人前で何かをやることが大嫌い。凄く嫌なんです。母も知らなかった。私が二十九歳になるまで……!
 それなのに、遅生まれなせいで身長は高かったからか、四歳で字が読めたので、母の影響もあって感情を込めた朗読をテープに録音したり……そんなことが影響したのか分かりませんが、身長は高い方だったので、色々最初の出だしとかを振られたわけです。今思えば無茶振りされました。
 今でも鮮明に覚えています。はっきり言ってトラウマです。

 「いい?いちとーにーとーさんとーよんとーのリズム(前奏)を良く聞いてね。で、このよんとー、で、愛美ちゃんが舞台に最初に出て行くの。そうしたら、向こう側にいるYちゃんが出て来て、次はこっち、その次はあっちと順番に舞台に皆が出るから、愛美ちゃんが最初に間違ったら、皆が間違っちゃうから気をつけてね。当日は目印を付けておくから、そこを目安に出て行って、皆を待っててね。それからお遊戯になる音楽をかけるからね」
 ……なんて理不尽な。舞台に立つのが嫌なのに、先頭切ってぶっ込めと?間違うなと?目印に向かって行けと……?ダンスやお遊戯だけではなく、入退場の仕切りまでやらされたなあ……。しかも音に合わせて、先頭切ってこの人からこっちに向かってあっちに帰れとか!!
 ストレスだったなあ……。こういったことは、小学校高学年まで続きました。
 だんだん背を抜かされて行き、私は中学生になる頃は真ん中くらいになっていましたので。楽になりました。
 
 こんなことがトラウマになります。なるんですよ。
 だから、ステージに立って何かをやるとか、表彰されるとか、何かの代表になって意見を述べたり読んだりするとかが大嫌い。目立つ事が嫌い。注目される、視線を集める事に寒気を感じます。
 個人表彰も嫌だけど、団体でステージに上がって個々の名前を呼ばれた時なんか、同じステージ上の人が呼ばれた時に拍手していいの?前の団体さんは、どうやってたっけ?くらい動揺しています。
学校外での場合は初めての場所で知らない人が座っているから、私の椅子はどこだった?荷物や服が置いてあるわけだけど、どっちだったっけ?と、何かの暗唱や表彰される以前の問題で頭がくらくら、心臓は口から出そうどころか胸膜だか横隔膜だかぶち破って出てきそう。
 もっと言えば、ステージに上がる前に、どこかでお辞儀したっけ?前の人が良く分からないくらい覚えてない。上がって、どっちから帰った?お辞儀はいつするのだっけ?こんなことで暗唱や朗読が出来るのか?表彰を受けられるのか?
 嗚呼、どうして今日欠席出来なかったのだろう……。
 これは四十路五十路になっても変わっていません。現在でも大嫌い。
 だから、認められるとか、褒められるとか、注目されることを避けたいのです。ろくなことが無い。良くあがり性な人は、自分を良く見せようと思うから、実力以上の自分を見せようと思うから、ありのままの自分を見せようと思わずに気負うから上がるのだ、と言われますが、そこに辿り着く前の段階で動揺する人種もいるのです。何かをやって来いと言われて選ばれてステージに上がってやりたくも無いことをやらなければならない……。上手くやろうなんて、自分を良く見せようなんて考えるものですか!また選ばれてやらされてしまうじゃないですか!絶対避けたいことなのに!!

 しかし、その私の心情が表面に現れていないそうで……母の誤解は先ほどにも書いた通り二十九歳になるまで「知らなかった。お前はそんな風に見えなかった。寧ろ堂々と落ち着いて見えたから、得意だと思っていたよ」と。
 「なんでよ!いつもより早口だったでしょ!声が震えていたでしょ!挙動不審だでしょ!」「まあ、いつもより早口なのが残念かな、くらいしか感じなかったよ」
 同じステージ上にいた母でさえ、これですから。赤の他人が理解してくれるはずはありません。二十年以上の職場の同僚は「え?なんの冗談かと思ってた。真面目な話だったの?」とほざ……いえ、のたまわりました。

 だから、私の内面と外面が正反対に映るらしいのです。不本意ながら。
 内観なんてしたくない。本当の自分?この私が本当の自分でしょう?
 ですから、真逆に捉えられてしまう自分が情けなくて。某CMではありませんが「どこ見てんのよ!」と叫びたい。
 弱い犬ほどよく吠えるでしょう?アレですよ。アレ。
 誰も分からないと言うので、こうやって書きなぐっている訳です。
 今回から有料にしました。(そして後日無料にしました(笑))まさかお読みくださる方は居ないでしょうと思って取った行動なんです。
 嗚呼、スッキリ!!
 誰も理解してくれないって悲しいですよ!!

 認められたりしたら、重宝されてこき使われてしまいますよ!!褒められても、ろくなことがなかった私です。実力なんて無い。普通未満のおばさんで、世界を閉じて生きて行ければ幸せな人種なんですよ!
 と叫びたかったので書きました。いつもの如く、推敲しません。
 書いたら即公開。
 読む方は居ないと思って書く人は私くらいでしょうね。現実逃避に書いてますからね(笑)
 スッキリ出来て良かった!
 


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