定員割れの商業高校に赴任、わずか1年で国公立大合格者を0人から20人に増やしたら、校長に抜擢(ばってき)された

この記事は産経新聞の安東義隆氏の一聞百見 からの転載です。


当時30歳で「全国最年少」だった柴山翔太さん(33)。目指したのは進学校ではない。日本一おもしろくてワクワクする学校だ。「挑戦を、楽しめ。」と生徒や教職員の先頭に立ち、旗を振り続ける。

定員割れ校に赴任、進学で実績

高校球児だった。出身は北海道砂川市。甲子園を目指し、札幌市内の強豪へ進学した。が、3年の夏、地方大会決勝で負けた。かなわなかった夢は「監督、コーチとして実現すればいい」と思い直し、教員に。人生を変える出会いがあった。3校目に赴任した私立高校で、経営立て直しのため民間企業から転じた校長は「何のために」が口癖。授業、部活動、行事、何事にも「目的」を考えることが求められた。前例踏襲で漫然と行えば「手段が目的に変わる」と覚った。

校長は「自分が校長になったつもりで働いてください」と言った。人ごとにせず自分で考え、動く。学校のビジョンに沿ってさえいれば自由に創造していい。「やり方次第で学校は変えられる」と確信した。
さらに校長は柴山さんに問うた。「野球だけでいいの」。野球の指導者に満足し、楽な道を選んでいたことに気づかされた。野球以外の武器を身につけようと挑戦できる場所を求めた。

小論文対策のノート。生徒は社会問題について新聞や本を読み、意見や疑問を書き込む選んだのは神戸市の私立の商業高校。徹底した小論文指導で国公立大へ多数の合格者を出していた。その指導のスキルを身につけた。が、進学実績にとらわれることに疑問を感じ、新たな挑戦の場所を求めた。

それが福岡女子商業高校(福岡県那珂川市=以下女子商)だった。もとは公立だったが、経営難から平成29年に学校法人八洲(やしま)学園に移管された。「公立にできない教育の実現」を目指し、発展途上にあった。が、赴任早々衝撃の事実を知らされる。募集定員240人に対し入学者は94人。校長は定員割れを解消するため、定年を延長、奮闘していたが「経営が行き詰まるのは時間の問題」と思った。

生徒に会うと自己肯定感が低いことが分かった。多くが学力に自信がない、家庭に経済力が足りないことを理由に大学進学をあきらめていた。保護者も就職や専門学校への進学を前提としていた。大学進学の強い動機づけが必要だった。進学説明会では学歴フィルターや生涯賃金など社会の現実について話し、奨学金と返済に関し個々の家庭の事情に即して説明した。

「国公立大に15人合格」を公約、自分にプレッシャーをかけた。前の学校の実績から「生徒が信じてついてきてくれたらできる」と自信はあった。結果、20人が長崎大や北九州市立大など国公立大に合格した。
手に入れた成功体験。これを土台に新たな挑戦が始まると思った矢先、校長の退任が明らかになる。定年延長が打ち切られ、理事長が校長を兼務するという。理事長に直談判。温めてきたアイデアを提案し「自分の思う改革ができないなら辞める」と訴えた。4時間を超える話し合いの末、
理事長が放った一言は―。

「じゃあ君が校長をやればいい」

校長は「壁打ち」の相手役

「こうしなさい」と指示はしない。方針は示すが、やり方は任せる。校長は「壁打ち」の相手役だ。壁打ちとは、話を誰かに聞いてもらい、考えを整理すること。言われた通りにやるのではなく「自走できる人」を求める。
30歳だった柴山さんの校長就任に、教職員は不安や戸惑いを抱かなかったのか。保健体育の教員として女子商に30年以上勤務してきた教頭の澤井愼治さん(57)は異例の人事を「改革のギアを上げる」というメッセージと受け止めた。生徒は毛筆で志望校を書き、掲示している。

澤井さんは変化に対応すべく「学び直し」を自らに課す。マネジメントやリーダーシップ、コミュニケーションなどの実用書に限らず哲学や歴史の本も読む。「『言語化』して伝える」「教育という『商品』を買っていただく」「説き伏せるのではなく『対話』する」。そんな言葉が口をついて出る。「若い教員の伴走者でありたい」と願う。

進路相談を担当するキャリア支援部長、竹山祥世(さちよ)さん(38)は「進路指導室」という名称が気に入らなかった。「指導」ではなく「支援」が正しいと考えた。生徒が気楽に立ち寄り、お茶を飲みながら一緒に考える場所。「可能性をひきだす」「ひきだしを増やす」「整理する」…。そんな意味から「喫茶ひきだし」と名づけた。
生徒に「最初からあきらめない」「失敗してもいい」「挑戦しよう」と寄り添う。教員や保護者が頭から可能性を否定してはいけない。知識や経験を持つ大人は「こんなやり方もある」と示してあげればよい。竹山さんは言う。進路相談に訪れた生徒と保護者。担当の竹山祥世さん(中央)は「自分のキャリアは自分で決めるもの」と言い、生徒に寄り添う(福岡女子商業高校提供)「自分のキャリアは自分で決めるんです」

国際交流を担当する英語科教員の黒澤永(はるか)さん(28)が柴山さんから与えられたミッションは「真の英語教育」「真の国際理解」。「何のために英語を学ぶのか」を考えた。
目的は2つ。一つは「競争」。英語ができると世界で戦える。もう一つは「協働」。多様な人々と協働でき、手を差し伸べられる人が増える。生徒に「ノブレス・オブリージュ」という言葉を紹介した。フランス語で、身分の高い者には責任と義務が伴うという意味。日本人は恵まれている。富める者の責任として貧しい人に手を差し伸べなければならない。そのために英語を学ぶのだ。
留学支援に力を入れている。「うちにお金はない」と、あきらめる生徒に対し家庭に負担をかけない国の支援制度「トビタテ!留学JAPAN」を紹介した。国際交流では民間非営利団体の教育プログラム「ミュージック アウトリーチ」に参加。10カ国30人を招待、一緒に英語のミュージカルを創作、披露した。
あくまで生徒主体だが、教員の知識や人脈は必須。英語学習はAI(人工知能)でも可能な時代に、教師に求められるものは何か。黒澤さんは考える。「生身の人間にしかできないことを生徒とともに創っていきたい」

柴山さんが立てた旗のもと、若い教員が続々集う。

改革浸透、「当たり前を疑う」

ビジネス誌「Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)」が2023年6月号で、未来の教育を牽引(けんいん)する30組織・団体を発表、女子商を選んだ。

柴山さんは昨年11月、福岡の経営者が集うセミナーに招かれ、女子商の「パーパス(存在意義)」や改革の成果について講演した。企業と共通する部分にメモをとる人もいて、名刺交換では列ができた。生徒経営の店舗が軒を並べる「女子商マルシェ」。約1万人が来場、クラウドファンディングで資金100万円を調達した。
「Z世代の若者から学びたい」と経営者が参加するロータリークラブなどか女子商では生徒が起案する自主参加型プロジェクトが展開されている。「自ら考え、表現する力を楽しみながら学ぶ」。そのために企業や起業家、外部の大人の手を遠慮なく借りる。

修学旅行プロジェクトでは1年生がチームを組んで旅行会社の助言、保護者の意見を聞き、プランを作成した。

制服プロジェクトでは新しい制服を企画、デザインを決めた。ある生徒が柴山さんに「制服変えたら女子商の人気が出る」と提案したのがきっかけ。学生服メーカーのカンコーやセレクトショップのビームスと会議を重ねて実現した。

学校の広報を担当する部活動「キカクブ」は動画投稿アプリ「TikTok」で学校行事や部活動などを紹介し、ある動画は910万回再生を記録した。
「Z世代の若者から学びたい」と経営者が参加するロータリークラブなどから生徒に講演依頼が舞い込むようになった

入学案内のパンフレットも生徒が編集する。表紙のコピーは「ふつうを蹴り飛ばせ」。ページをめくると、こんなメッセージが―。
「今まではひとつの正解を追い求めてきた。けれども、あらゆる固定概念をぶち壊して あらゆる常識を覆して あらゆる当たり前を蹴り飛ばして 自分でデザインした人生を歩む そんな力を手に入れないか。君たちの想いと行動次第で自分や周りの人の幸せを作りにいかないか」

「当たり前を疑う」女子商は、九州で慣例とされる「朝課外」を廃止した。午前7時40分ごろから始まる非正規の授業で、さまざまな課外活動にあてられている。女子商では50分の授業を5分短縮し、8時40分から9時20分までを「CT」(チャレンジタイム)と設定。夢や目標の実現のため、勉強や部活に打ち込むもよし、自宅で有意義に過ごすもよし。9時20分までに登校すればいい。改革の肝は「自分で考えて行動を起こす」ことにある。
正門をくぐると「挑戦を、楽しめ。」というスローガンが目に入る。柴山さんは自走する生徒、教職員にエールを送る

柴山さんには気になるデータがある。日本財団が令和4年に行った「18歳意識調査」。日本、アメリカ、イギリス、中国、韓国、インドの17歳~19歳の男女に「自分の行動で、国や社会を変えられると思う」に同意するか否かを聞いたところ、「はい」と答えた日本人は26・9%で最下位だった。日本の高校生には「変えられる」と胸を張って答えてほしいと願う。

校長就任から3年。「挑戦」は生徒や教職員の意識に深く浸透し、女子商の「文化」になりつつある。次の目標は生徒も学校運営に関わり、意思決定すること。「自治」の実現だ。

しばやま・しょうた 平成2年、北海道生まれ。国語科教員として私立高4校を経て令和2年に福岡女子商業高校に常勤講師として赴任。翌年、30歳で同校長に就任した。徹底した小論文指導で2年度の国公立大合格者を0人から20人に増やす。同年度、94人だった入学者を5年度、217人にまで増やした。