ボーナスタイム
朝起きてすぐ、布団の中でスマホをいじるのが習慣になってしまった。Twitterのトレンドをひとしきり見たあと、LINEを開く。通知は6件。うち4件は公式アカウントからで、残りの2件は桧山野々花からだった。
「綾子、お疲れ様〜
おとといはありがとう!ひさびさに会えてよかった〜」
「また飲みに行けたらうれしいな」
わざわざ2日後の朝に連絡を寄越すあたりが律儀なのかなんなのかよくわからない。本当に、あの子は昔と何にも変わっていない。
野々花とは、高校1年から3年の間ずっと一緒に行動していた。お弁当を食べる時も、教室移動の時も、トイレに行くのまで一緒。それでいて、私は野々花のことが苦手だった。そのことに、1年生の9月で気付いた。気付いたとて、2学期にもなれば女子のグループは膠のように固まっており、どうすることもできない。クラス替えを期待するしかなかったが、なんだかんだで3年間同じクラスを引いてしまったし、葉山綾子と桧山野々花の出席番号はどう転んでも連番になる。
「あやがいれば無理してグループに入らなくていいからほんとに嬉しい!」
4月の陽射しを受け、後ろを振り向きながら言う屈託のない笑顔に、私は卒業するまで抗うことができなかった。
「綾子、久しぶり〜!」
「久しぶりだね」
一昨日のこと。居酒屋にて再会する私たちの間には、不自然に付け加えられた「子」がぽっかりと浮かぶ。歳月そのものが漂っているみたいだ。
野々花の見た目は何も変わっていない。あの頃のようなにこやかな笑顔を浮かべていたが、どこか能面のような、奥行のない笑顔にも見えた。
「どうして急に誘ってくれたの」
「どうしても何もないでしょ、しばらく会ってなくても私たち、友達なんだからさ〜。何頼む?」
友達。やけに強調するような言い方。メニューを覗き込むフリをしながら、私はその言葉を反芻していた。
友達、友達、友達。
「野々花ってそういうクサいこと平気で言うよね」
3年前、高校を卒業したばかりの私は野々花にそう言い放った。学校の近くのゲーセンの、プリ機の落書きブースで。
ラメカラーのペンで「大学行ってもずっと友達。」と書き終えたばかりの野々花は、きょとんとした顔をしていた。
「そういうノリのつもりで書いたんだけど…重かったかな」
野々花は落書きブースに目線を落としながら小さな声で呟く。やってしまったと思った。どうせ彼女とは違う大学に行くのだから、今日さえ我慢すれば徐々にフェードアウトできたのに。
理性ではそう思ったのだけれど、野々花の悲しそうな顔を見ていたら無性に腹が立って、何かが堰を切ったように溢れ出てきた。
「あんたのそういう綺麗事言うところが……大学入ったらどうせ疎遠になるんだよ、疎遠になったあとでこのプリ見返して悲しくなるとか思わなかったわけ?そういう、無神経なほどに明るいところが……私、辛い。3年間ずっと辛かったよ」
野々花は数秒の沈黙の後、ペンから消しゴムに切り替えてさっき書いたばかりの文字を消そうとする。
「消さなくていいよ」
「ううん…消すよ、ごめんね」
「消さなくていいってば!!!」
私は怒鳴ってペンを取り上げた。
「ボーナスタイム突入!」
プリ機の底抜けに明るい音声がそう告げて、画面のタイマーが止まる。野々花はブースの中でしゃがみこみ、音もなく泣き始めた。
私は時間が過ぎるのをひたすら待って、メアドの画面も画像選びも適当にすっ飛ばし、印刷されたプリクラをポケットに入れてゲーセンを後にした。このプリクラが野々花の手に渡るのが嫌だったから。コートを撮影ブースに置き忘れたことに気づいたけれど、戻らなかった。せいせいした。私は心の中では野々花にずっとこういう態度をとっていたのだ、と初めてわかった。
「じゃあ私、ガリトマトと梅水晶」
「うわ〜、最高!軟骨唐揚げも頼もうよ〜」
野々花は何も覚えてないのだろうか。そんなわけはない。覚えていた上で、「しばらく会ってなくても私たち友達」と言ったのだ、この人は。
「ねえ、やっぱり私…」
「綾子はさ…」
2人が同時に喋り出す。
「あ、ごめんごめん」
「いや、こっちこそごめん」
「こうやってハモった時さ、よくハッピーアイスクリームとかって言ってたよね」
野々花が懐かしむような顔をしながら言う。
「あー、言ってたね。『ハモった』とかも最近あんまり言わないかも」
「え、嘘!私未だに言うけど」
「いやまあそれはいいんだけど、さっき何て言おうとしたの」
「ああ、さっきなんで急に誘ってくれたのって訊いたけどさ、綾子は何で来てくれたの?」
私は言葉に詰まる。先手を渡すべきではなかった。
「……わからない」
「わからない?」
野々花が私の顔を覗き込む。
「えっと、いや、うーん……謝りたかった、のかもしれない」
歯切れの悪い言い方になってしまう。今日わざわざ来たのだから、私の中に謝りたい気持ちはもちろんあった。でも、彼女の術中にハマるのは嫌だという、幼稚な感情が首をもたげる。
「そっか〜」
促すようにこちらをじっと見る。野々花は、目が大きい。高校時代、この二重瞼を羨んでいたことを思い出す。
「あの……あの時は、本当にひどいこと言ってごめんね」
「気にしてないよ、大丈夫!」
そう言って野々花はにっこりと笑った。全ての歯が見えるくらい笑った。負けた。彼女の目的はこれだったのだ、やっぱり。こんなことなら、会ってすぐに謝っていれば……結局私は彼女の思惑通りにしか動けない。
「はい、仲直りの握手!」
私に向かって手を差し出す。
そうだ。私はこの子の、こういうところが苦手だったのだ。
「ボーナスタイム突入〜!」
店員さんの声が店内に響き渡る。
「ボーナスタイムです!ジャンケンで買ったお客様には、本日の天ぷら!無料サービス致しま〜す!」
「え〜!すごい!参加しよしよ!」
私ははしゃぐ野々花に笑顔を向けながら、遅々として進まない腕時計を盗み見ていた。胃のあたりがずんと重い。なんだか、高校時代の4限の授業中に見ていた教室の時計と重なって見えた。
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