翠ジンソーダとモルトマラソン、そして大山崎山荘・芝川ビル…
倉敷、徳島の阿波乃蒸留所からもどって水曜日はサントリーの翠ジンソーダの取材で、田町のサントリーに行く。新しいテレビCMも放送され、「いと清々しい」というキャッチコピーも効果的だが、実際に新しくなった缶の翠ジンソーダを飲んでみると、これが驚くほど美味。中華や、ギョウザなどにもよく合うだろう。角ハイがどちらかというと揚げ物、フライなどに合うのと違って、翠ジンソーダは和食にも、中華にも合いそうだ。
28日の木曜はウイスキー検定の増補改訂版の最後の校正をし、さらにコニサーの『コニサー倶楽部』の原稿執筆と、その校正。午後に事務所に行き、3~4件のミーティングをこなしたあと、7時から6回目となるモルトマラソンをウイスキースクールで行う。ようやく6回目にして、アルファベット順でエドラダワーまでいった。まだまだ先は長い…。途中で出れなかった回の補講というか、飲めなかった回のウイスキーを飲む機会も設けようと思っている。
29日の金曜日も検定テキストの校正に向けての作業と『コニサー倶楽部』の執筆・校正。今回は世界のウイスキーニュースのコーナーで、今話題のスコッチの新しい蒸留所について、6ページで書いている。エイトドアーズとウルフクレイグ、ケアンにダンフェイル、そしてブローラ、ポートエレン、ローズバンク、さらにポート・オブ・リースとモファットである。『コニサー倶楽部』はコニサークラブ会員向けの年4回の季刊誌だが、ガロアとは別に、これからも新規蒸留所、それもスコッチやアイリッシュ、その他の国々の蒸留所についてレポートを書いてゆくつもりだ。
ということで、30日の土曜日は朝の新幹線で京都に向かい、昼1時頃に京都線の山崎駅へ。そこでアサヒ(ニッカ)のKさんと待ち合わせて、アサヒグループの大山崎山荘へ。山崎駅は1993年の初取材以来、何度も降りてはいるが、考えてみれば駅を出て左に向かって歩くのは初めてだ。大山崎山荘は関西を代表する実業家の加賀正太郎が、天王山の山中に昭和初期に完成させた、イギリス・チューダー様式を取り入れた山荘・邸宅である。敷地面積5500坪という広大な土地の中に庭園や美術館があり、今ちょうど加賀正太郎没後70周年と、ニッカ創業90周年の特別典が開かれていて、それを取材するためだった。
ニッカの前身、大日本果汁が設立されたのは1934年。出資者は加賀と芝川又四郎。そして竹鶴本人たちだったが、資本金の70%は加賀正太郎が出していたのだとか。芝川と竹鶴は、竹鶴が摂津酒造にいた頃、リタ夫人と住んでいた家の大家が芝川で、その縁だが、加賀は竹鶴が山崎蒸留所の工場長として山崎に住んだ頃、そのいわば隣人であり、加賀夫人の千代子さんに英語を教えていたのがリタさんだったという縁だったとか。ちなみに大日本果汁の第1回株主総会が開かれたのが1934年の7月で、それは芝川が所有する大阪市中央区伏見町の芝川ビルの一室だったという。
その芝川ビルも大山崎山荘の取材後に見に行くことに。ここは以前テレビでも紹介されていたが4階建てのビルで、いたるところにマヤ・インカ文明の意匠がデザインとして取り入れられているという、珍しく、貴重なビルである。そこを撮影しつつ、最後は1階にあるバーコートへ。久しぶりにオーナーのOさんとお会いし、何か大日本果汁90周年のイベントが芝川ビルで開けないかという話になった。大阪フェスが開かれる、6月下旬から7月上旬にかけ、そのタイミングで考えてみようということで盛り上がった。ガロアでも年内に竹鶴と大日本果汁設立期の特集をやる予定で、ちょうどいいタイミングかもしれない。
その日は新大阪のホテルに1泊し、昨日の日曜はいつもの貸し会議室で、ウイスキーエキスパートの集中対策セミナー。今回はマスターの石原さん、山本さんにもお願いして、私は東京同様、アイリッシュだけを担当した。
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