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スピーカーを見つつラーメンハゲを思う

前にも話題にしたが、僕はラーメンハゲが好きである。
「ラーメン発見伝」のメインのライバルキャラクターで、名前は芹沢達也と言う。グルメ漫画の金字塔「美味しんぼ」で言うなら海原雄山の立ち位置なのだが、この漫画の性格上、そんな役割だけでは済まない程に強烈なインパクトとセリフを読者に残した。
おかげで主人公を差し置いて続編でも主人公を育成する重要人物として登場、さらに最新作ではついに主人公となった。
そんな読者を引きつけて止まない芹沢さん、その中でも有名なセリフの一つが、ヘッダに使った画像のこれだ。

ラーメン発見伝、芹沢さんが初登場である前後編回、その前編のラストの次回へつなぐ「ヒキ」でこの顔、そしてセリフ。
ヤベーくらいに印象に残るってもんで、たちまちネットのオモチャ、もとい大人気に。

こうしたセリフ(と顔)のインパクトもそうだが、この漫画がラーメン経営論までカバーしているが故に、そうした経営哲学が結構な説得力をもって芹沢の口から語られるため、読者は納得させられるわけだ。

さて、こんな芹沢さんをふ、と思い出したことが最近あった。
それは、とあるモノのニュースを目にし、それについて色々調べたからだ。

バルミューダフォン

もう各所でネタにされまくってるアレだ。
多くは言わない。ただ、アレを買うのはリターン込みの動画ネタにするか、ある意味でのプレミアが付くのを期待するくらいしかないな、と思ったのは間違いない。
僕の周りでも「他の家電は良かったのに」と嘆いている。曰く、カタログスペックが出るスマートフォンで勝負したのが間違いだ、とか。

…果たして、そうだろうか?

カタログスペックというのは、他の家電でも存在している。
僕はスマホに詳しくないが、アレをダメだと判断するだけの知識はあった。
つまり、知識がある分野なら、他の家電製品でも判断はつくだろう。

他のバルミューダ製品は、果たしてどうなのか。
これが気になったのだ。

そしてそれは、意外な形で身近にあった。
職場の上司が「バルミューダのスピーカーが欲しい」と言っていたのだ。
スピーカーなら、昔とった杵柄の音楽絡みである。音響マニアと言うほどまでには詳しくないが、判別くらいはつくだろう。

で、バルミューダのスピーカーを見てみた結果がこちら。

モノラルだった、と簡潔に書いてるのはTwitterのせいなんだが、実は他にも疑問があった。

単一スピーカーが真上にデン!とあるだけで、音の広がりに欠けるであろう、その解決策であるディフューザーが無い。
何故付けなかったのかと言われたら、それはデザイン性という回答が返ってくるであろう。
ただし、それは3万を払う価値のあるデザインとユーザビリティがあると判断した人が納得するものであって、下手すりゃ自分で作った方が良くないか?と思わせた人にはある種の疑問符が付くわけだ。

結論、ここで僕は冒頭で紹介した芹沢さんのセリフが脳内で響いたわけだ。

なるほど、このスピーカーを買った奴は音を聞いているわけではなく、情報を聞いているのだなぁ、と。

もっと言えば、置物であったり、間接照明的な使い方が主な用途であり、それがスピーカーである必要性は必ずしも無いわけだ。
映像と音のズレや高音域の減衰も気にしないし、それを癖だの味だのと言えば解決する。正直、音響家電はそれでも通じる世界だ。

だが、それが本物かどうかは常に問われる。

芹沢さんは、あのセリフを「鮎の煮干しのダシ」を銘打っていながら、それが台無しになっているラーメン(濃口らーめん)を巡ってトラブルになり、その事を指摘した主人公に向けて言い放った。
そして、続編で「本物が分かる客は大事にしている」と言い、実際に「淡口らーめん」を売っている現状があってのあのセリフだった。

しかも「味が分かる客」を指してこうも言っている。

本物を提供しているという絶対の自信があって、そして味の分かる人に沢山知らしめたいという、そんな思いのこめられたセリフなのだ。
それを端的に言えば「情報を食う客には、濃口らーめんで資金を運んできてもらう」ということになる。
そして、実際濃口らーめんは世間的に「美味い」という評価を得ている。
ラーメンの好みは様々で、コッテリが好きな人もいるし、アッサリがいい人もいるだろう。
芹沢さんはそうしたニーズに応えただけであり、その売り文句にも偽りがない「鮎の煮干し」を使っている。
濃口らーめんに、「風味など分からんから」と単価の下がるフツーの煮干しを使っていたのなら、後ろめたい話になるだろうが、そういうことはしていないのだ。
(この理屈を詰めたエピソードが続編で登場するので、それは買ってのお楽しみ)

さて、じゃあバルミューダはどうなんですかね、という話なんだが。

バルミューダは決して「芹沢さん」ではないよね。

つい「分からない客」のイメージで出てきた芹沢さんだが、この事例ではいささか話が違うだろう。
本物が一つでも有ればいいが、こうも「違う」ものが出てくると、他も怪しくなるわけで。

悪名は無名に勝る、という戦略だろうか?

悪貨は良貨を駆逐する、とも言う。

バルミューダに本物が紛れていたとて、それを覆す力が、果たして残されるだろうか。

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