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ヴィーガン論争に疲弊して、ヴィーガンをやめたくなった話。

"ヴィーガン・フレンズ"というLINEグループがある。「〇〇のヴィーガンクッキー美味しかったよ!」「〇月〇日(日)13:00~15:00 精進料理の料理レッスンを開催します!ご興味ある方は▲▲までご連絡ください」など、主にヴィーガンというライフスタイルの情報収集をしたり、メンバー間のコミュニケーション活性化の名目で使われているはずだった、、、、そう、私がこれから話すことを投稿するまでは、、、。

まず、私の考えとして、"ヴィーガンじゃないから、グループに入れない"という排他主義に傾倒した考えは相容れない。少なくとも、私を含めた友人のUやKなどはむしろ、フレキシブルな考えのヴィーガンがノンヴィーガンとの懸け橋的役割を担うと考えている。そしてその先には動物の犠牲が少なくなると信じている。

私もそういったマインドを持っていることから「もし、今ケージ卵を食べている人が、平飼い卵の良さに気づくきっかけになってくれれば....」と思い、「平飼い養鶏場で実際に卵をピッキングしたり、養鶏農家の課題など聞くために訪問するが、良かったらどなたか行きませんか?鶏抱っこのレクチャーもしますよ~(≧▽≦)」と呟いた。

この投稿に対して返ってきたレスは4件。内容は私が期待していたものとは正反対だった。以下、意訳「からかってんの?」「動物虐待がこの世の中にはびこってるのに、それをわざわざこのグループに言いに来たの!!?」「理解してほしいのは、いくら平飼いだからと言って、鶏にとって理想的な環境ではありません」「もちろん抱っこは好き。彼らが肉になるまではね」

どうだろうか?ちなみにそれぞれ別の人間が呟いている。私は自分が言ったことにそんな問題があったのかとテキストを見直したが、「課題をヒアリングする(=現場の調査を含めた)」とも書いてあるが、訪問の理由が何であれ、彼らからしてみれば「養鶏場へ鶏を見に行ったり、今後の市民活動に活用する現地調査であったとしても、生産者を応援している=動物虐待を容認している(養鶏が雄雛の圧死という犠牲の上で成り立っていることに変わりはない)」というウルトラエクストリーム級ヴィーガニズムの思想なのだ。

本当に残念なことに世間一般が持っているヴィーガンに対する印象は上記がほとんどではないだろうか。自分が持つヴィーガンの定義と、他者のものを比較して皆で吊るし上げて批判する。彼らの行いがある限りはノンヴィーガンは益々、"ヴィーガン教"から遠のく。彼らの言っていることは辻褄が合わない。同じ仲間だと思っていた人と、こんなにも意思疎通が取れないものだなんて。

あの後、私は文中にもあるような自論を主張して、咄嗟にグループを抜けた。「もうこんな低レベルな茶番に付き合ってられない、時間の無駄。」憤慨した。「馬鹿がなんかほざいとるわ」そう思えれば良いのだけど、表に明るみに出ない、メンバーで涙を流す人間がいたのか、それだけが気がかりだった。だがしかし、私が退会した後もドラマがあった。なんと友人や他のメンバーがその後擁護してくれたり、偏った"Veganism"の思想を持つ、前出のエクストリーム達に対して、私に謝罪するように促したりしてくれたのだ。

ちなみにその中にはグループ内でやり取りしたことない人も、会ったことない人もいた。そしてわざわざ私のアカウントを見つけ、心配してきてくれたのだ。

もう、これだけで充分だった。私を応援してくれる人達を信じて、活動を続ければいいのだ、と安堵と感謝の気持ちでいっぱいになった。

「動物最優先で、人間の気持ちは関係ない」そんな支離滅裂なことがあるだろうか?平飼い農家だって、苦労がたくさんある。でも彼らなりに鶏の生活をより尊重したいため、あらゆるリソースを天秤にかけて、模索している最中なのだ。彼らの苦悩を知らずして、そこに暮らす鶏の表情を見ずして、何が語れる?ノンヴィーガンをどうやって説得できる?

ヘイトからはヘイトしか生まれない。皆もともと肉食だった。その自分を信じたくない、新しい自分になったと勘違いしている、"ヴィーガン"というステータスを手に入れ、その座に甘んじ、「私が世の肉食野郎の世直しをしたんでえ!!」と誰彼構わず、叫び散らす。彼らはどこまでいっても自分たちが一番、正しいことをしているととんでもない勘違いをしている。間違いなく、変わるべきは彼らそのものなのだが、感情論からVeganismの思想が形成されているが故、大局を見ることができず、ましてや中立的立場に立って冷静にディスカッションも不可能なため、理性を失った野蛮な行動に発展しがちなのが大きな特徴だ。

「間違った努力の仕方は報われない」彼ら/彼女らのアプローチのことだ。自分がまず、"相手を許す"という行為を"自分に許す"、そう、自分が変わらない限りは人の気持ちや行動、ましてやその人がこれまで生きてきた世界なんて、ひっくり返らない。その人、生産者、アレルギーの人、料理人、サラリーマン、フレキシタリアン、それぞれに、それぞれの都合がある。文句だけ垂れて、彼らの生活がどうでもいいなんて、そんなことを言われた日にはシェフは「じゃあ大豆ミート作りません」と言うはずだ。

彼らのボトルネックやニーズを引き出して、どのアプローチが最適解なのか?これを考えて市民活動に落とし込んで今まで動いてきたのか/動いてなかったのか、洗い出し、それぞれの問題点を議論或いは分析する。ここまで来てようやく"真のヴィーガニズムとは何なのか論争"のディスカッションを始めることができるだろう。


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