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賽は投げられた【100日間エッセイチャレンジ】

賽は投げられた。
かの有名なユリウス•カエサルが発した言葉とされるが、つまるところ、
「一度出たサイコロの目は元に戻せない。運命に向かってことは進み始めたので、もはや引き返すことはできない、行くしかない」
と言ったような意味であろう。
今の私は、まさしくそんな気分である。

つい先日、息子が幼稚園年少組に入園した。
現在慣らし保育の真っ最中であるが、息子はもとより、むしろ私の方が未だに戸惑っているかもしれない。

私自身、幼稚園という場所にあまり、と言うよりほとんど良い思い出がないのだ。
この話は、ネタとして膨らみそうなので、また別の機会で取り上げようと思っている。

私とは対照的に、主人は今なお幼稚園時代の楽しかった話をしていて、幼稚園時代の同窓生―正真正銘の幼なじみと言えよう―の何人かとは、コロナ禍前までは年に数回顔を合わせていたほどだ。

この話には続きがある。
主人の出身園は、我々の自宅から最寄レベルで近い上、当時の主人の担任や各種担当教諭の大部分が未だに在籍しているということを知り、息子の登園先は何の迷いもなく決まることとなった。
園は、幼稚園から認定こども園となっていたが、幸いにも都市部と比べれば激戦区ではないことや、幼稚園枠希望者が殺到しなかったことも追い風となったようである。

かくして入園が決定し、諸々の準備を進めながら、その日を待つこととなった。
私は昔から、この手の細々とした準備や作業はあまり苦にならないタイプだ。
幼稚園定番の袋物も、無事に仕上げることができた。

※実際の画像


書類の準備も余裕を持って終えられた。
先々の予定もカレンダーアプリに入力し、リマインドできるようにもした。
何だ、これなら余裕じゃないか。
そんな風に思ってしまったのが運の尽き。

私は登園初日にして、盛大なミスを犯してしまったのだ。

この日の朝、バタつきながらも登園準備を終え、私は通勤途中に預けてもらうべく、主人と息子を送り出した。

何だかんだと言いながらも、息子を乗せた車が見えなくなり、ひとりドアを閉めた時、何とも言えない感情が込み上げてきて、私は思わず涙ぐんでしまった。
こんな日がこれから毎日続くのか、と。

初日のため、慣らし保育で降園は11:30。
未だ生後半年にも満たない下の娘を見ながら、溜まった家事を片付けつつ、今までにない、なんとも自由でゆっくりとした時の流れに、不思議さすら感じ、噛み締めていた。

さて、そろそろだと腰を上げ、娘を預けに実家へ向かい、到着してしばらくのことだった。

うん、迎えまでは未だ少し時間があるな。
そうだ、この間に明日以降の予定を確認しておこう…と、カレンダーアプリに登録しておいた予定表を眺めた時、私は全身の血液が逆流し始め、まさに血の気が引いていくのを感じた。

10:30〜 年少組懇談会
終了後、園児と共にご帰宅ください

時刻は既に10:55を回っていた。
完全にやらかしてしまったのだ。

とにかくすぐに実家を飛び出し、園に急行する。
到着した頃には懇談会は終わりかけていた。
もちろん、新年度初日からこんなやらかしをしでかしたのは私だけだ。
20人近くの保護者が当たり前のように集まっていて、空席はひとつだけだった。
不幸中の幸いと言うべきか、自己紹介の番には間に合ったため、その点だけは事なきを得た。加えて、保育枠から持ち上がりのママさんの声かけにより、LINEグループにも加入させてもらうことができた。

もしも、これがママ友をテーマにしたドロついたドラマの第1話であったとしたら、私はまずこの瞬間からターゲットにされてしまっていることだろう。
現実の方が優しく寛大であったことは救いであるが、もう二度とこんなやらかしはしないと心に誓ったことは言うまでもない。

懇談会は翌日だとこの時何故か思い込んでいた私。
昨日、予定表を取り込んだ時点で、もう一度よく見返していたら。
実家に行く時間をもう少し早めていたら。
どれだけ後悔しても、後の祭りである。

更に、終了後に再会した息子は、送り出した時と服が変わっていた。
「初日、しかも2時間程度だから大丈夫でしょう」
と軽く考え、着替えの用意を怠ったのがいけなかった。

こうして初日から2つも大きなミスをした私は、HPを大きく削られてしまったのである。

さて、当の息子は、入学式含む登園3日目にして、見事に「行きたくない」病を発症した。
しかしながらそんなことは予想の範囲内で、取るに足らないことである。

とは言え、私自身は2年保育だったこともあり、もしかしたら後1年、家にいさせても良かったのではないか、ということも頭を掠めたりした。

だが、小学校に入る年齢になれば、いずれ、手を離さなければならない。
いつまでも手元に置いておけるわけではないのだから、親だって相当に腹を括らなければならないのだ、ということに気付かされた私は、ようやっと覚悟を決めることができた。

息子はこれからこの先、少なくとも20年近くはどこかに所属して集団生活を送ることになる。
長いのか、短いのかよく分からないが、今、彼は大きな一歩を踏み出したのだ。

そう、賽は投げられた。
これからの息子の人生に幸あれ。
私は後ろからひたすら願い続けることに徹するのみだ。

明日のタイトルは
手話、輝いて

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