ランジャタイとわたしの2週間

2021年のM-1ではじめてランジャタイの漫才を見て、その時は奇妙なコンビだなと思いながら普通に笑っていたのだが、オールナイトニッポンでランジャタイが担当した月替り放送を聞いてからこの2週間で、すっかりハマってしまった。

何が好きなのか、この時点ではあまり言葉にできていなかった。
これ以上近づいたらなんだか大変そうだなと思いながら、ちょっと離れたところから応援するくらいにしておきたいと思いながら、気付いたらオンラインライブのチケットを秒で購入していた。
出演情報をチェックして、テレビの録画予約をびっしり入れていた。
見れない地方番組を見るためにAbema TVのアカウントを作ってアプリをダウンロードしていた。
自分の行動力がこわい。

もともとお笑い好きで、中学生の頃はオンバトや内Pを親に隠れて見るのが楽しみだったし、M-1も第1回から欠かさずずっと見てきた。
とは言えルミネなどの劇場やライブの類はいったことがなく、テレビだけで長年楽しんできたのだが、まさかこの年になってライブに行くほど好きな芸人ができるとは思わなかった。

なにが私をランジャタイに向かわせるのか。
ちょっと自分の人生について考えるタイミングに、ランジャタイのことも一緒に考えてみた。

ここからは一旦私の身の上話。
私はフリーランスである。
2人の子供を出産後、思いつきで子供服のブランドを立ち上げ一人で運営している。
経営状況はおおむね凪である。
立ち上げ時にクラウドファンディングをし勢いよくローンチしたものの現在は気分で活動。活動と言っても新作を作るわけでもなく、とりあえず今年は今ある在庫を少しでも減らすことを目標にのろのろと運営していた。
私は悩んでいた。
正直、飽きてしまっている。勢いで立ち上げた子供服ブランド、きっちり決めたコンセプトは素敵だと思うのだが、自分がそのコンセプトに縛られてしまい創作意欲を喪失していた。
全然気が乗らないのである。
作りたい意欲はあるけれど、コンセプトに合わせて作ろうと思うと吐きそうになる。はやくこのコンセプトやブランディングイメージから逃れたい、自分の作りたいものとコンセプトに不一致が生じていて本末転倒だった。
心の中でははやくやめちまえ!と思っているのに、なんとなく手放せない。


そんな時に出会ったランジャタイ。
ボケもツッコミも互いに役割がないくらい自由で(ツッコミなのにツッコまないなど)、
自分がおもしろいと思ってることをそのまま全力でやってるだけ、スベってもそんなことはどちらでも良い、みたいな無敵感が漂っていて非常に奇妙だった。
そして最後にはこちらが根負けして笑ってしまうのだった。

アーカイブを漁って漁って気付いたが、その構造は実にシンプルだった。
全力なのである。特に国崎は真に全力なのである。
自分の”おもしろい”を信じてただ突き進んでいる。するとこちらもそれを信じてみたくなってくる。
私はそんな真っ直ぐな人が大好きだった。

あぁ、これだ、こうなりたい。
そして私が悩んでいた何かというのは、これに尽きるのだなとよくわかった。
自分が本当にやりたい、つくりたい、試してみたい、というものに全力になれているか。
もしそうでなければ今すぐにでも選び直し、フルベットすべきなのだ。

これまでランジャタイの奇妙さやパワーに惹きつけられていると思っていた。
でもよくよく考察したらちょっと違っていて、彼らの真っ直ぐで本質的な生き方に憧れやシンパシーを感じていたのかもしれない。




私は自分の子供服ブランドを辞めることを決意した。

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