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留学2〜4週目


留学2週目

先週 滞在許可証の申請を終え、多少 肩の荷が降りたところで、次は食料確保問題。
私の住むアパートは、学校から徒歩1分の好立地。静かな住宅街で、建物は中世にタイムスリップしたかの様な建物。とても気に入っています。
ただ、近くにスーパーが無いのが悩ましいところ。Googleマップで徒歩20分の場所にスーパーを発見。早速行ってみました。 
スマホを持ち歩いてたら危険?と思い、地図を頭に叩き込んで出発したものの、この町は地図に載っていない路地があちこちにあるのです。案の定 迷子になり、2時間以上さ迷う羽目に…。
警察官の方がいらっしゃったので、道を教えてもらい 何とかアパートに戻る事ができました。

歩き回って感じた事は、この町は外国人大学があるので、様々な国籍の人達がいる事、地方都市なので 日中は危険を感じる事が今の所 無い事、観光地なので 常に警察が巡回している事、多くの観光客がGoogleマップを見ながら歩いている事でした。
この町は、必要以上に恐れる必要は無い事を 肌で感じたので、それ以来、私も知らない場所に行く時は、いつもマップに頼っています。

買い物に行けるようになり、生活ペースが出来始めたのとは裏腹に、授業についていけていない自分を はっきりと自覚した2週目。
入学当初 クラスは、とても優しく 気さくなスペイン人の女性と2人でした。
イタリアに住んでいて、ある程度 喋れるレベルの彼女と 私の語学力との差は明らかです。
授業内容も殆ど理解できず、宿題をこなす日々。
宿題(文章問題)は、出来るんです。
ただ、授業中の話が聞き取れない(イタリア人同士レベルの会話スピード)、質問したいけど、言葉が出て来ない。何とか授業についていきたいので、予習をするものの、1ページを読み終えるのに 知らない単語を調べて 文章を理解するのに6〜8時間かかる日々が続いたのでした。

留学3週目

この週から ノルウェーの女性が入ったので クラスは3名になりました。彼女も 優しく気さくで 休憩時間は 3人でいつもバールに行っていました。
彼女もイタリア在住なので、ある程度 喋れる方でした。
私が授業の足を引っ張ってる罪悪感と、帰宅後は ただただ単語を調べる悶々とした日々は続いていきました。
木曜日に、学校主催の ワイン試飲会があったので
クラスメートと共に参加。
夕方から、先生引率でエノテカ(ワイン専門の酒屋産さん)へ。ワインの説明を受けながら、白→ロゼ→赤ワインの試飲。
お店の方は、とても詳しくワインの説明をして下さってたはず(殆ど聞き取れなかった)
ワイン試飲会が終わり解散後、参加していたメンバーで飲みに行こう!となり バーへ。
片言ながら 私も会話に参加でき、アルコールの勢いもあって 盛り上がり 楽しいひと時を過ごせました。
翌日、クラスメート2人は授業最終日。
授業終了後、別れを惜しみつつ 2人を見送りました。

留学4週目

週末の日曜日は、第一日曜日だったので、近くの国立美術館へ。毎月、第一日曜日は国立の美術館など無料で入場できる施設が多いのです。
朝から 1人で ゆっくりと美術館を見て回りました。そう言えば イタリアに来てから、どこにも行ってなかったな…と この1ヶ月を振り返った瞬間でした。
 
翌月曜日、クラス編成があり アメリカ人とブラジル人の若い女性と同じクラスになりました。
更に難しいクラスになり、もはや私がついていけるレベルではない事は すぐにわかりました。
若い2人に、ゆっくり、ゆっくりでいいんだよ、焦らなくていいんだよ…と励まされ、自分自身も
負けるな、自分!と 気持ちを奮い立たせていた日々。
留学した目的の1つ イタリア語の習得から 完全に逸脱して、落ちこぼれたくない…と、だたただ意地になっていた日々でした。
金曜日に、先生から新しいテキストを事務所で購入するよう言われ、授業も次のステップに進んでいったのでした。

週末は、部屋から一歩も出ず ただただ 新しいテキストの単語を調べ続けていました。
ふっと、私は単語を調べ続ける為に イタリアに来たの?1冊目のテキストも理解していないのに、2冊目に進む事は 私にとってプラスになるの?と、様々な疑問が心から溢れ出てきたのです。

自分の気持ちに正直になろう…そう思ったら、居ても立っても居られず、月曜日の朝 いつもより早く家を出て、学校の事務局に直行しました。
いつも優しく迎えてくれる事務局員さん。
ただならぬ私の雰囲気を察してか、どうしたの?と声をかけてくれたので、
先生の話している イタリア語が 聞き取れないんです!だから授業が理解できないんです。
初級クラスに変えて下さい!
ちょっと待ってて!と、事務局員さんは言い残し職員室に駆け込んでいきました。
他の先生も交えて 話した末、初級クラスへ変更する事になったのです。
しかし、今までの先生が来て、君のクラスは こっちだ!こちらに来なさい!と私を連れ戻しに来ました。
私は咄嗟に、先生のイタリア語が聞き取れないの!だから授業が全くわからない!もう一度、勉強し直したいの!と言い放ったのでした。
学生時代、先生に反抗した事なんてなかったのに。
でも 人生初の反抗が イタリア語なんてすごくない?咄嗟に イタリア語 喋ってたやん!と、自分でも驚いた瞬間でした。
たとえ短いフレーズでも、とにかくイタリア語を喋る!と言う きっかけと勇気をくれた出来事でした。
そして無事、初級クラスへ。
このクラス変更が、私の留学生活の大きな転機となっていくのでした。






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