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デジタルデトックス1ヶ月続けた感想

お久しぶりです。まみずハルカです。

1ヶ月前まで私はパソコンに取り憑かれた人生を歩んできました。大学生の頃からブログを書いたり動画を見たり、日常の中にパソコンと対峙する時間を多大にとっていたと認識しています。そして、「アウトプット信者」になったことがこのパソコン依存を加速させたのだと思います。朝起きた瞬間にパソコンを開き、何かしたの動画を流す外出するまでパソコンは起動しっぱなし。

そして、どこに行くときもノートパソコンを持ち歩いていました。用事が済んだら、近くのカフェでブログ書こうと自動思考が働いていました。もちろん、このような状態である当の本人は「やりたいことをやっている」と思っていました。

そんないわゆるデジタル依存だった私ですが、何の気なしにパソコン断ちをしてみようと決心しました。まず、デスクにあるパソコンを閉じパソコンケースにしまいました。そして、目の届かないところに移動。意外と、パソコンを触りたいという欲求は薄れました。そして、見えてきたのは自部屋の様子。掃除が行き届いてない床や書類が散乱している箇所などがどんどん目に飛び込んできました。この現実を覆い隠していたのがネットなのだと感じました。そして、「所有物は果たして、今の自分に合っているものなのか」と吟味をはじめました。

もともと、(こだわりが比較的強い方なので)物を買うのが苦手だったのですが、明らかに昔買い揃えたものたちは、今の自分に合っていないと思い、インテリアを買い替えました。居心地の良い空間を作るという視点を持つことができたのがパソコン断ちの成果の一つとなりました。

そして、もう一つ。「アウトプットしなければいけない」という義務感からの精神的解放を会得しました。今まで、様々な本を読んできましたがその中で「アウトプット能力が私には足りてない」と気付かされたことがありました。自分の考えを表現できないことでフラストレーションがたまったり、自己実現の妨げになっている感覚に囚われたのです。だから、私は様々なネット媒体(はてなブログ、note、ツイッター、インスタ、youtube)を駆使し、ほぼ毎日大なり小なりアウトプットをしていました。そして、アウトプットできている自分に酔っていたと思います。

しかし、私の「根を詰めすぎる」性格が災いし、いつしかそれは「ストレス発散の手段」から「なりたい自分になるための必須の行動」と化していきました。つまり、アウトプットに取り憑かれた思考回路になってしまったのです。ブログの題材を書きとめたり、思いついたことは全てメモやツイートに残したりしていました。

このような状態は、無意識的に自分の精神をじわじわと疲弊させていきました。この状態に自身は意識することができませんでしたが、体の疲れが長期間取れなかったり、感情の起伏が激しくなったりと弊害は生じていました。

パソコン断ちをして1ヶ月、今までの家時間の過ごし方が一変しました。動画を見る時間が本を読む時間に変わり、ツイッターをする時間がストレッチや美容に費やす時間に変わりました。

謎の焦燥感が減り、余裕が生まれた実感を得ました。

私はスマホよりも圧倒的にパソコン派なので、スマホ断ちはしていません。しかし、完全なネット断ちでなくともやってよかったと思えます。小学生の頃からパソコンを触るのが大好きで、あらゆることをやってきました。「パソコンがない生活」というのは本当に久しぶりの感覚で、新鮮でした。(重症ですね。)

現在、これを書いていますので、パソコン復活させています。しかし、元に戻るのも気が進まないので適度な距離感で付き合っていこうと考えています。おそらく、意思の力では限界があるので、家のデスクを撤去しようと思います。デスクに座るとパソコンと向き合う構図となり、ご飯もそこで食べるという悪習が根付いてしまいます。絵的にもよくないので、デスクをなくし、ソファを購入しようと考えています。

パソコンでのアウトプットは外(カフェなど)のみにしようと思います。会社員で働いている手前、家はリラックス空間であるべきだと思います。そして、休日はほとんど、カフェに居座るのでそこの時間だけ(結構長い)パソコン由来のアウトプットをしようかなと。長年、連れ添ってきた大きいデスクとお別れするのは寂しいですが、私の現生活を思うと家具の選定と部屋のレイアウトを変えるべきだという結論になりました。

これから、目星がついていソファを再度見学に行こうと思います。

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