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「ビーコンライツ」

2023/3/6@ユーロライブ


 何だろう、とても素敵だった。劇場という場所を出発点に、演劇、フィクション、創作とかを詰め込んで、見送るための物語だったように思う。

 演出の言葉が素敵だった。ビーコンとは灯台とか目印のような目的で設けられたものだそうだ。あまり詳しく知らなかったのだが、演技を学ぶ養成所の修了公演として打たれた本公演には、真っ直ぐすぎるぐらいのメッセージだろう。「これから飛び込む遠洋で、この公演がビーコンとなって、心置きなく泳いで行けるように」。その真っ直ぐさが素敵だった。

 物語はとある芝居を観に来たウツリとその劇団の物語、劇団員たちの日常とが、虚構と現実を行き来するように交錯して進んでいく。ウツリはエンディングを見ないままに眠りについてしまう。目を覚ますと、ついさっきまで舞台に立っていた俳優が幽霊として客席にいる。さらに扉は開かず劇場から出られなくなっている。「物語の幽霊を成仏しないと客席から出られません」。幽霊として劇場に長く住み着くタシカは告げる。二人は、観終えることのなかった物語の中へ入り込んでいく。物語を終わらせ、成仏させるために。
 劇団は終演後、脚本家の一声で解散へと向かう。後日、再び公演を企てる元劇団員たち。一方、劇団員でもあり、現実ではウツリの彼氏であるハジメは、劇中の?彼女へ「俳優を辞めようかな」と打ち明ける。バスで彼女の故郷へ、両親への挨拶へ向かう。元劇団員たちが集まったオンラインミーティングで、脚本家は一人の劇団員とは芝居を作れないと打ち明ける。ミーティングを抜けたその一人は、主人公であったはずの物語をモノローグで語り続ける。もう一人の元劇団員は、脚本家への復讐を企てる。ハジメは彼女の家族と映画館へ行く。「結婚はいつ頃になるんだ」と尋ねた父の一言に彼女が怒り、険悪な一幕となる。彼女を追った先にはなぜか脚本家がいる。夢のような話のまま、朝を迎える。朝食の場で嘔吐したハジメを怒鳴り散らす彼女の妹。それは元劇団員たちによる公演の一幕で、本番を明日に迫った稽古のシーンへと切り替わる。公演は本番を迎える。企てられた復讐はアフタートークで、実践される。客に投げかけられた質問に復讐者は手をあげ、脚本家に対し「私の身体の一部を奪った」と問い詰める。それは、劇中で当て書きとして書かれた場面で、コンビニ店員への「ありがとう」や食事前の「いただきます」が無かったことだった。アフタートークは騒然に空虚にして終わる。
 客席を彷徨い続ける幽霊である元劇団員たちの中に、ウツリは入っていく。どうやら結成時のようである。劇団名を決めようと話が弾む。ウツリは「劇団メモリ」と名付ける。劇団員たちの顔は希望に満ちて晴れている。



 物語と現実、虚構が交錯する作品に、とても面白さを感じた。さらには物語の脈略を一部無視したかのような強さを放つセリフの断片が耳に残って作品を加味するような、その言葉に惹かれた。作、演出を務める本橋龍さんの作品は初見で、こういった劇作をされる方なのだと後で知った。演劇にはよくある手法のようにも思われるが一味違って見れた。何故かと考えた結果、物語現実虚構を区別せずとも面白さを保つ脚本と演出、役者の芝居に起因するのではないかと答えに至った。
 一点挙げるならば、物語が「セカイ系」に収められてしまったことかもしれない。劇場から出られないという設定に、その世界観は無視できず収支してしまった感は否めなかった。が、他に取集させる手立てを私は知らないのでなんとも無責任な話なのだが…。

 何より特筆されるのは、観客席を舞台として用いたシステムだろう。段々に詰め込まれた客席は舞台としても十分に観られる。わずか数メートルの広さの舞台を客席とするためキャパの問題はあると思うが…。(劇場はいかに、客席が占める面積率が高いかを初めて思わされる)。客席に座れば胸から下は見えなくなる。床に仕込まれた小道具や、潜り込む演出、むしろ舞台よりも表現としての面白さを増していた。
 ありそうで稀なこのシステムから感じられたのは、舞台上の役者にも舞台を降りたそちら側の日常があるということだ。それは物語の中でも、公演上のフィクションと、解散を迫られた劇団員たちの日常、さらにはウツリとタシカの劇場に閉じ込められる現実と虚構を意図的に混ぜ合わせているように見えた。これは劇中劇か本筋か、虚構か現実か。前半は、場面ごとの整理をしながら追っていても、次第に追いつけなくなってくる。いや、追う必要がないと気づく。全てがフィクションであり、筋はなくともつながって楽しませてくれると気付かされる。
 冒頭、タシカが客席を舞台として用いるための説明?をする。全ては覚えていない。舞台を座標に見立て、縦をアルファベット列、横を数字列で区切ったこの場所は、没頭した人は前列を、首をなるべく動かしたくない人は後列を、トイレへ行く可能性がある人は端の席に座ると説明し、自らは前方端っこの席に座る。ラストシーン。登場人物たちはそれぞれの思う客席に座り、客席となった舞台を見上げている。暗転していく客席に、明かりや色、大きささまざまな照明を置いて、外へと出ていく。
 あなたはどの客席を選ぶだろうかと投げかけられているように感じた。同時に劇中のウツリと同様、物語を成仏させるための責任も負わされていると感じる。それは客席だけでなく、舞台側も同様であり、履修生である役者へのメッセージとしても取れる。
 物語の中で主人公を演じる彼女のモノローグや、復讐者の当て書きへの恨み、脚本家の創作への悩み。それらが強さを放ったセリフとして物語を浮かび上がらせていた。創作は作者のアイデンティティと切り離すべきとの一つの考えを承知した上で、真っ直ぐにこのメッセージを受け取るならば、後人への助言とも取れるだろう。もちろんそんなことは受け取らなくとも、物語は面白い。その上で、一種の気恥ずかしさに心許して作品を振り返るならば、その思いを成仏させるのは自分自身だと、真っ直ぐに背中を押されるような作品だった。

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