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教育言説にはびこる、学者やメディア知識人の噓


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学校教員不足が深刻ではあるが

義務教育を担う学校教員の不足はただいかに問題なのではあるが、この手の話題が出てくるたびに、

「文科省が学校をトップダウン型組織にしたからだ説」が吹聴される。

今回もまたこういった意見が飛び出す始末。


教員が欠員になるのは日本の教育行政が「学校をトップダウン組織にひたすら改組してきたこと」の当然の帰結です。現場の自由裁量権を奪い、こうるさく査定し、大量のブルシットジョブを与えて、あらゆる機会に自尊感情を傷つけておいて「教員のなり手がいない」といまさら驚いてどうする。

内田樹氏 https://x.com/levinassien/status/1739193025434452225?s=20


この手の「文科省(文部省)が現場をトップダウンで管理しようとすることから現場にしわ寄せが」説 は、私はとうに聞き飽きた。

ほぼ大嘘である、騙されてはいけない。 
 

だいたい「教員が可哀そう」言説ほど信用ならないものはない。
 

採用の問題

大量退職時代を見込んで多めに採用して人材育成をしておくべきだったのでは?という説も毎度出る。

ここは採用側の見通しが甘かった面はあるだろう。

①少子化を見据えて採用を絞った(1980年台半ばから)
②志望者が減少(1980年台)
③絞り方が激しくなる(1990年台)
=== A)いじめ、不登校、学級崩壊等で学級運営のハードルが高くなる。
=== B)ここいらで、制度的な負荷増 (2000年前後)
④教員の平均年齢の上昇で若い教員の負荷が増える
=== C)ここいらで、支援系の負担増 (2010年前後)
若い層の離職や休職が予想を上回る
⑥大量定年退職時代に突入し、人手不足。(イマココ)

少子化を見据えればある程度の採用減は想定に含めて当然である。ある意味先をみとおしたからこその「採用減」ではあったのだ。

では、何の見通しが甘かったかというと…A)B)C)の負担増の見積もりが甘かったのである。

ことAとBに関して「教育学」の先生たちの目論見が外れた部分が大きいだろう。

 

学校教職員のブラック化の本当の理由

教員という職がブラック化してきたのは、日教組教研運動由来の学校抱え込みの教育思想が主な理由。 バブル期くらいには文部省内部にもその流れが入り込んできて、教組と文部省の共働体制になった。

1950年台~70年台の日教組の学校丸抱え志向が、教員に過度の役割を求める風潮にもつながってるし、都市部中学受験熱の過激化を生んだ面もある。 「教職員の自治」思想がかなり悪さをしている。

この自治志向は、日教組が「学校の自治=教育の国家支配の否定」を言いだしたあたりにさかのぼるので戦後すぐに端を発する。


学校のブラック職場化は日教組とともに

学校のブラック職場化の要素の多くは、教組教研運動で生まれた「アイデア」、もしくは、対文科省闘争のために引けなかった「策」である。

「管理職をおきたくない」がために事務員を増やせなくなった。

1970年前後の「闘争」のために事務員等を増やせなくなって、校務分掌で無理やり乗り切るとか… これなんか、文部省関係なく、主流派と反主流派でドンパチやって、統一見解を出せなかったのがデカかった。

教職員でない職員を一定数以上入れると管理職を置かなきゃいけない…という地方公務員法の規定に「学校の自治の観点から好ましくない」という勢力が引かなかったので、事務職員の増員ができなかった。

このため、増える仕事を教職員で分掌する…が常態化したのだ。

そのころの組合員教員は、ほぼ退職しているはずであるので、今の教員には無関係であるが、そういった経緯もあるので、文科省のせいにだけはできない部分がある。

 

部活動ブームは日教組から

中学校の部活動なんてのも「集団主義教育」のツールとして日教組団体が推進して拡大してきた面が大きい。

表向きは「スポーツや文化に触れる機会を子供たちに」だったが、真の目的が取りざたされることはなかった。

共働き世帯が増え、中学生の放課後の居場所としては手ごろだったこともあって、疑いの目を持たれにくかったのだろう。


観点別評価導入時のこと。

2002年から導入された「観点別評価」も、「きめ細かくひとりひとりを評価すべき」の日教組の掛け声の挙句に出てきたものだ。
挙句どうなったかといえば、客観性を確保し、公平を期すために、宿題や課題が増え、そのチェック業務と評価業務が格段に増えた。

ああ、これは世紀末に既に予見されていたことである。

悪名高い「ゆとり教育」最終段階の課程の導入時、反対運動があったことを思い出さざるを得ない。

マスメディアは華麗に反対運動をスルーしていたが、その中で観点別評価や総合学習が教員の負担を大幅に増やすだろうと予見する声はあった。

しかも、この反対運動、教組から出たものでも教育学者から出たものでもなかった。「応用物理学会」が立ち上がったのであった。

教組と教育学者の多くは文部省案に賛成にまわっていたのである。
 

”なんでも文科省(文部省)が悪い”の教育学しぐさ

なんでいまさら日教組?のわけ

日教組(今は日教組と全教に分かれたが)、全盛期ならいざ知らず、いまさら日教組でもないだろうと思われるかもしれない。

さよう、日教組も全教も一部地域をのぞいては組織率がかなり下がっている。

だが日教組の教研運動は、教育現場の実践家教員+助言者としての教育学者という組み合わせであり、教育学者が、現場教員の「すぐれた実践」をピックアップし、それにあれこれ理論づけをして拡げるといったスタイルが多く取られていた。

教育学者の考える「自治的、民主的な実践」がどんどん先鋭化していったのが1960~70年台で、その後もその路線の踏襲が延々続いているのが教育学の世界である。

教育学者の物語によって不可視化されてきた「教育学の失敗」

もちろん失敗もあったが、それはすべて「管理志向の文部省のせい」にされてきた。

『教育学者や教育実践家は、戦後ずっと「自治的、民主的な教育実践」に取り組んできたが、保守勢力やそれに阿る文科省(文部省)が、その取り組みを阻んできた。』

という強固な物語に沿って、失敗はすべて文科省側に付け替えられてしまう。そして付け替えられないものは「学校にあらわれる問題は社会の映し鏡」として、社会にその責任が付け替えられてきた

こういう付け替えを長年してきたことで、教育の問題はなに一つ解決しないまま、小手先の策ばかりが踊ることになったのだ。

メディア知識人の中には、「ボロ隠しのための付け替え」を、そのまんま流布するような人も少なくない。

繰り返しになるが「騙されてはいけない」。
 

参考書籍紹介

↓ボロ隠し名人の本

1980年台、批判の高まった際に、全国生活指導研究協議会の提唱する「集団主義教育」を温存するために書かれたと思しき盛大なボロ隠し本である。初版本は1987年。

竹内常一のおかげで「校内暴力」も「不登校」も「いじめ」も全部「思春期の適応の失敗」枠に放り込まれてしまった。不登校本人家庭原因説の元凶である。

こんなもんを名著復刻とかいって、東大出版会が2015年に出してしまうあたりが教育学の闇の深さだろう。

 

↓ボロ隠しの集大成のような本

なぜ行き詰ったのか?それは、教育学者のボロ隠しのせいだろう!といいたくなる。

旭丘中学事件も勤務評定闘争も、全共闘も「自治的・民主的勢力が頑張ったこと」扱いになってしまっている。そして「悪いことはみな保守勢力の抑圧のせい」である。

発達障害に関しては、「製薬業界の陰謀論」に近いものまで出てくるのだから開いた口がふさがらない。

 

↓不登校に関する言説のボロ隠しを暴いた本

この本は、専門家のボロ隠しを暴いた本である。
だが、著者は教育学者ではない。社会学の世界の人である。

こういう論調が教育学から一切出てこないあたりが、そもそも教育学がどうかしていることの証左だろう。


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