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わたしの後悔と姉のショックのこと。

きのう、久しぶりに姉に会いました。
法事とかで顔は合わせていたけど、がっつり話したのは何年ぶりかもう思い出せないくらい。

わたしと姉は、全く正反対なタイプだと思う(顔は似ていて、昔は双子とよく間違えられたりしたけど)。

姉は、全てのことに理由と意味と解決法があると信じてる。「だってそう思っちゃったんだからしょうがないじゃん」みたいな気持ちを知らない人。

実家で一緒に暮らしているときは、姉に憧れていたし大好きだと思っていたけど、お互い家を出てからは、考え方や感覚の違いに気づいて、違う人間なんだなーって実感した。特に、両親の介護が必要になってからは、あまりに違くてびっくりすることもたくさんあった。だからいつのまにか、なんとなく避けていたのかもしれない。


両親が亡くなり、お互いの子どもたちもそれぞれ独り立ちした今、ふたりとも余裕ができてきたのかな。久しぶり話したら、大好きだった気持ちを思い出してきて、嬉しかった。

別れ際に、両親とのことでわたしがいちばん後悔していることを話した。

両親が同時に認知症になったことが発覚したとき、最初に診てくれたお医者さんが「これから長く付き合わなきゃならないから、自分の生活を変えないように、できる範囲で対処した方がいい」って言ってくれた。それは本当に救われた言葉なんだけど、実際には両親がふたりで生活できたのはほんの1ヶ月くらいだった。

その間に、いろんな事件があった。お風呂のお湯が沸騰したり、プラスチックのボウルでお湯を沸かそうとしたらしくドロドロに溶けてたり、牛乳が玄関先に何本も配達されてたり、パックに入った生魚が本棚で腐っていたり、、、

最終的には、父は家で熱中症になり救急搬送され、その後母はショートステイ先で熱中症になり入院し、そのあとそれぞれ施設に入所することになった。

その壮絶な両親ふたり暮らしの間、姉とわたしは交代で顔を出し、事件にショックを受けながらも片付けたり食事を準備したりして、夜には家に帰っていた。

後になると、なんであの時泊まっていかなかったんだろうって思ってしまう。長く続くと思っていたから、自分の生活を変えちゃいけないってことを必死に守っていた。こんなことなら、1ヶ月仕事なんて休んで自分の家族のことも任せて、実家に泊まり込めばよかった。そうしていたらきっと父も母も安心したのかもしれない。

もし1ヶ月間一緒に暮らせていたら、たまに襲ってくる「なにもしてあげられなかった」って気持ちも、少しは小さかったのかもしれない。


それはもう10年以上前のことなのに、姉に初めて話した。姉は後悔とかしない人と思ってたから、「あの時はそうするしかなかったからしょうがない」とか「結果的にはあれでよかった」とか言うんだろうなと思ってた。そしたら、「わたしもそれよく思ってる」って言われて、すごくびっくりした。

そして、あの頃姉がショックだったことも話してくれた。

母の認知症に初めて気づいたのが、夜中に突然タクシーでわたしの家に来てしまい、「わたしたちのお母さんはどこ?」って言った時。姉はそれが姉の家ではなくわたしの家だったことがショックだったと言った。

それもびっくりした。わたしは姉のそんな気持ちに気づくこともできなかった。そういう気持ちには気づけて寄り添えてるって思ってたのにな。


だけど、お互いにずっと話していなかったことを話せてよかった。また姉との距離が戻った気がしました。

その後ふたりで、お正月に実家に行ったらなんの準備もしてなくて布団で寝ててびっくりしたよね?とか、その前の年のお正月がお父さんがサラミを何本も何本も切ってくれて、そんなに食べられないよって言ったら怒鳴ったりした時だよね?とか、その時お母さんがみんなに靴下買ってくれてたのに上手く配れなくて何度もわかんなくなっちゃったって言ってて不安になったよね?とかの話を笑いながらした。

後悔の話や、ショックだった話は、まだ笑いながらはできないけど、これから少しずつ溶けてくのかもしれないね。


✳︎


久しぶりにじっくりと見た姉の顔や手が、母にすごく似てきていて、ちょっと泣きそうなったことは姉には内緒です。

あと、NHKの夜ドラはいつも観てると言うので、今の「VRおじさんの初恋」おもしろいよねって盛り上がって、わたしが野間口さんファンになった「クライシス」の話をしようとしたら、「あ、民放は観ないから」ってバッサリ言われたので心の中で爆笑しました。そーいうとこ相変わらずだし、民放は観ないって言い方が父そっくりだったから。

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