ネガティブ・ケイパビリティを備えたわたしになりたい
先日、Twitterでこのような投稿をしました。
30代半ばを迎えて、現在独身。恋人もおらず、ひとり暮らし。
世間一般から見ると、売れ残りだとか可哀想だとか欠陥品だとか思われるのかもなーと思うけれど、ひとりの時間が大好きなわたしは今の暮らしが幸せだと感じています。
恋人がいたときもそれはそれで幸せだったけど、それ以上に悩むことや苦しくなることも多かったので。
最近は、長年の悩みだった実家の家族とも距離を置くことができるようになったので、穏やかな毎日です。(これはまた記事にしたい!)
この幸せな毎日にとても感謝しているし、満足もしています。
でも、すこし前にある方の投稿を読んで、ふと気づいたのです。
「あれ?わたしは“幸せ”以外の感情を全部心の奥に押し込めて蓋している・・・?」と。
その投稿は、わたしよりも一回り程若い女の子が書いたもので、彼氏と喧嘩してしまったことに対する反省が綴られていました。
これまでにも何度も目にしたことのあるような内容です。
でも今回はちょっと違っていて。
何気なくその投稿を読んだとき、心の奥からとてもどろどろになった黒い声が聞こえたんです。
「喧嘩できるような彼氏がいるだけいいじゃん」って。
自分でも「え・・・?」とびっくりしました。
わたしはただただ幸せだと思っていたけど、そう思い込ませようとしていた部分も少なからずあったのかもしれないと。
売れ残りだとか可哀想だとか欠陥品だとか、そんな風に思われたくないという気持ちがあったのかもしれない。
白黒ハッキリさせたがりな性格が影響してしまったのかもしれない。
理由はきっとひとつではなくて、いろいろと絡み合っていると思うけれど、自分の気持ちに蓋をしていたことは間違いのない事実でした。
さっそくノートに心の奥底に押し込んでいた声を書きだしていきました。
淋しい、いつも側にいてくれるパートナーがほしい、などといろいろと出てきました。
こんなにたくさんの気持ちに蓋をしていたのか・・・と、自分に対してとても申し訳ない気持ちでいっぱいで、何度もごめんねと声をかけました。
先にも書いたように、わたしは昔から曖昧なことが苦手で、なんでも白黒ハッキリさせたがる性格でした。
以前お付き合いしていた方から「マナミはネガティブ・ケイパビリティを身につけた方がもっとよくなれるよ」と言われたことがあります。
「ネガティブ・ケイパビリティってなに?初めて聞いたけど・・・」と言うと、「よかったら読んでみて」と手渡された本がこれです。
正直、わたしには難しくて理解しきれませんでした。笑
難しいのは難しいのですが、興味のある方は一度手に取ってみてください。
ネガティブ・ケイパビリティとは、ざっくり簡単にいうと、不確実なものを受容する能力のことだそうです。
当時の彼氏は、わたしの白黒つけたがりな性格を直した方がよいと暗に伝えたかったのだろうなと思います。
この頃のわたしは、曖昧なものを受け入れることがなぜ大切なのかよくわかりませんでしたが、彼が言うなら・・・と、グレーな曖昧さも受け入れられるように、と意識しはじめました。
あれから5年ほど経ちますが、正直これがなかなか難しくて。
今回のことも、わたしがネガティブ・ケイパビリティを自分のモノにできていない証だなあ・・と思います。
幸せな気持ちと淋しい気持ちが共存することを、きっとわたしは認められなくて、無意識のうちに淋しい気持ちをなかったことにしてしまったのだろうなあ、と。
でも、別に幸せと淋しさが共存したっていいんですよね。
むしろ、どちらがひとつしかないなんて、そっちの方が怖い・・・人間だもん!笑
今ようやく、グレーな曖昧さを受け入れることの意味がわかったような気がします。
5年もかかってようやく腑に落とすことができたので、これからはグレーで曖昧な物事を受け入れて、その曖昧さを楽しめるくらいになりたいなあ。
曖昧さを受け入れて楽しめるようになれば、もっと生きやすくなるような気がするし、もっと幸せになれそうな気がする。
自分を幸せにすることに貪欲に!
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