消えないものと死んだ後について

消えるってなんだろうか。見えなくなることだろうか。いや、見えなくなっても消えないものはあるはず。

たばこの煙を見ながら考えたことがある。吐き出した煙は空に昇って見えなくなる。でもなくなったわけじゃない。見えないくらい細かくなって空気の中に拡散しただけで、煙だったものは、見えなくなってもそこら中にあるはずだ。

昼間には星は見えない。太陽が明るすぎるから。曇りの日にも星は見えない。雲が光をかくしてしまうから。でも、星は宇宙の特定の位置にずっとあって、ずっと光っている。光が私に見えるか見えないかの違いだけだ。

煙と星とでは少し種類が違うけれど、私は見えないけど存在するものにあこがれている。私もそうなりたい。透明人間になりたいわけではなく、死んだ後の話。

死んだらどうなるのか。それは宗教とか個人の思想によって、みんな違う考えを持っていると思う。死後のことは認知できないから、自分に都合のよいように考えて信じておけばいいはず。

私は、死後の世界があるとは思っていない。死んだら、私という人格はなくなって、何かを考えるとか感じるとかはできなくなると思う。

でも、私を構成していたものは死体を燃やしたら煙や灰になってそこら中に小さな粒子として拡散する。私が生きているときに話したことや考えたことは、もしかしたら誰かの考えに小さな影響を与えていて、関わった人たちの中に拡散するかもしれない。

私にとって、死ぬことは目に見えないくらい薄く小さく分解されて拡散することだ。「千の風になって」の歌が私の死生観にしっくりくる。そういうイメージを持っているから、もし希望がかなうなら骨も残さないで、細かくして拡散させてほしい。海か、難しいとは思うけど宇宙にまいて欲しい。

海の中で、私だったものは散らばって漂って、魚に食べられたり、底に沈んだり、岩の一部になったり、クジラに飲み込まれたり、いろんなところに存在できるようになる。宇宙にまいてもらえたら、私だったものは、散らばって漂って、もしかしたらすごく遠くの星まで行けるかもしれない。
死んだら意識はなくなってしまうけど、そうやっていろんなところに点在できたら、無になるけど無限にもなるみたいで素敵だな、という夢のような話。

おわり


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