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日が暮れるのを見た

同じ場所に何度も行くことはできても、「昨日」には戻れない。
それでも、眺めていると本当に過去に戻れる気がするのが写真。

いや、少し違うかな。
写真でできるのは、「あの日の再体験」。
過去は過去だから変わらないはずだけど、写真を見て感じることは毎回変わる。

亡くなった虫たちも写真の中では生きている。
もう亡くなっているであろう虫たちの写真を見ながら、今になって種類を調べて、以前はたどり着けなかった「名前」にたどり着くことがある。
写真に写り込んでいる別のものにあとで気づくこともある。

写真を見ているとき、本当にその場・その時間の景色を、もう一度味わっている気がする。

記憶は思い出す度に変わるし、思い出せばあとで違う感情が引っ付くこともある。本当に過去が記憶通りかどうか分からない。刻一刻と変わる空のように、二度と同じ形にはならない心模様。それは不安定なことでもあるけれど、実際に体験した過去の記憶が正しくて、今作った感情が間違いとも思えない。

写真を見て、過ぎ去った一日を再体験する。新しい思い出を今日、手に入れる。

私にとっては見覚えのある過去でも、他の人に写真を見てもらったら、その人にとってこの写真は「今日の出来事」になるのかもしれない。
太陽の姿は8分前のものでも、あの遠くの星の姿は500年前。私たちの過去はけっこう「今」に近いかもしれない。

そして本当は「あの日」から何も終わっていない。現に世界は続いている。自然界にはあの日と今日を隔てるものはない。
いや、あるような、ないような。写真がますますその区切りを曖昧にしていく。

ある日、日が暮れる様子を眺めた。

日が暮れるって言葉ではよく使うけど、実際私は、日が暮れるのをちゃんと見たことがなかった。いつか大金持ちになってのんびり暮らせるようになったら、日が昇る様や沈む様を何時間も見てみたいと思っていた。でも理由はなくとも今、足を止めれば良いじゃないか。

だから日が暮れるのを眺めた。
毎日起こる、当たり前の現象。オーロラでもなければ皆既日食でもない。でも日が暮れる情景は私にとって壮観なものだった。

地球に生まれてずっと「日が暮れる」ことを知っていたのに。知っているようで知らなかった。
沈む日が影絵を見せてくれた。空を支える大きな手と、翼を広げて飛び立つ鳥。
燃える雲には時折生き物の姿が浮かぶようだった。大きな大きな魂と命。

特別じゃなくていい。普通でいい。
壮大な一日の終わりに圧倒された。本当に日が暮れるのだと感じた。「今日という一日が終わってゆくのだ」と。一日というものがたまらなく大切で貴重で、愛おしいものに感じた。

どこかの国で見るオーロラもすごいだろうけど、日常の隣にある景色の美しさに魅入っても良いんじゃないかな。普通ってすごいことだ。

一度しかない今日が終わってゆく。
写真の中で、過去にまた会える。
あの日と今日を隔てるものは何もない。
ずっと続いている。

矛盾しているだろうか。

また会いたい。見られるかな。
……簡単だ。足を止めれば良いだけ。

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