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ヴィーガンじゃないけどアンチナタリズムという言葉を知った

この記事を読むと、人によっては傷つくかもしれません。ネガティブが苦手な方はブラウザバックお願いします。
(※ネガティブなのはタイトルにある考え方じゃなく、私の感情論です。)(※ヴィーガンの方にもそれぞれ、色々な考え方があると思います。ヴィーガン=アンチナタリズムではありません。)

生物が繁殖するのは個体が死ぬからであり、そのために生物たちは命懸けで繁殖してきました。なのに私はずっと「恋がしたい」とか「子どもが欲しい」とか思えず、自分がダメ人間のように感じ、無価値感や恐怖心に苛まれてきました。そのため繁殖に対して過剰に攻撃的な物言いをしてしまいます。

今もしっくりくる考え方を探して迷走中です。


……なぜ誰か一人の人を、家族を、限定的な存在を愛する必要があるのだろうか?

みんながみんなを愛せばいいじゃないか。

他人は競争相手?
世の中甘くない?
でも人口を増やす?
それって、不幸になる人が増えるのでは?

生き物を殺処分しまくって人口を増やす?
地球には人間だけじゃなく、色々な種類の生き物が必要なんじゃないの?

なんで雑草を引っこ抜いて花を植えるの?
なんで他人を蹴落として自分の子孫を残すの?
なんで鶏を食べて人間を生み出すの?

みんな生きたいと思っているのに。
若い子を変な目で見たり、襲ったり殺したりするのはおかしいけど、次の世代のためにすべてを捧ぐべきという自己犠牲的な発想も怖い。

老人でも幼子でも、同じ命なのに。
なぜところどころ、話に年齢とか、「大人」「子ども」が入るのだろう……。


誰も愛さなくても良いと思う。

というより本当は、全員が全員を同じだけ愛することを願っていた。

私は転落したから諦めたけど。随分ねじ曲がってしまったものだ。

生き物たちのことを理解したかったけど、誰のことも理解できなくなってしまった。セミだって一生懸命鳴いているのは子孫を残すためだし、生き物の美しい姿も声も、全部生き残るためだ。

そう考えると、落ちこぼれて居場所がなくなった私には、全部気の合わない存在になってしまった。

誰にも共感できない。「幸せ」の概念でさえ、自分を責めるものに感じる。

けど人間は生き物と同じなのに、なんで生き物と違うと思っているんだろう。なんで生き物をバカにするんだろう。考え方も生き方も、似たようなものじゃないか。一体何が違うと思っているんだろう。

そしてそんなことより私は、どこに居場所と心の拠り所を求めれば良いんだろう。逃げ場と、納得いく考え方が欲しい。


「ただ隣にいるだけの人」と、「恋人」は違うんだろう。
「よその子」と、「うちの子」は違うんだろう。

それって差別とは違うの?

動物だって自分の子のために他の生き物を狩って与えることができる。それが愛だというならみんな誰かを愛している。でも「誰かを愛す」ということは、自分が愛した相手とは他の誰かを、自分が愛した相手ほどは愛していないということだ。

私は肉になってくれた鶏や豚を愛しているけれど、それも愛だと言うならば、我が子を殺して食べることも愛になる。「それは違う」と言うならその理屈は成り立たない。

愛は天秤を傾かせ、犠牲を生む。命を奪って命を与える。愛には順位がつく。子どもを作り育てるには、自分の体を保つエネルギーも必要だ。


ひょっとしてみんな、自分が生きる意味がなかったら怖いから、誰かを愛したり親になったりすることで、自分が生きる意味を作っているのかな。一人の私は不安だもんな。

……いや、違うんだろうな。そんな不安や下心とは。
愛は理屈じゃない。私には多分、愛という感情がなかったのだ。

私は学校の勉強や受験に価値を感じられなかったから、子どもを生んで子どもに「勉強しろ」と言いたくない。でも自分の勝手な思いで見当違いなことを伝えてしまったら、子どもはまわりの人間とコミュニケーションを取れなくなり、地球で生きていけなくなるかもしれない。

命の選別をしたくない。責任も負いたくない。綺麗事も汚いことも伝えたくない。我が子に次の世代のため命をかけて欲しいとも思わない。孫の顔も見たくない。何も教えたくない。何より自分が自由になりたい。

目の前にいるカメムシと、「恋人」や「我が子」の違いってなんだ? 命にどう、差をつけよう?

でもカメムシはカメムシの異性を探しているんだろうな。

自分の子どもの考え方を理解できない人もいるらしい。
子どもがいるから時間がなくなって自分の好きなことをできない人、家族仲が悪い人もいるような。

家族ってそんなに幸せなんだろうか。
それとも我慢? 命を繋ぐ使命や責任のために?


もう生き物を愛せないや。何考えてるか分からない。
なんだか義務みたいなものでいっぱいだ。
あれもこれも。圧迫感がある。

ところで私と同じ感覚の人っているんだろうか?
みんな恋してパパやママになっているものだから、本当に仲間がいない。

何かにすがって安心したい私は、「子供を育てる理由」とか「子供を産む意味がわからない」とかで検索してみた。

……その検索結果は、なんか憎悪で溢れていた。

まぁ、検索結果がこんな感じなのはいつも通りか。子どもを持ちたくない人がこんな鬱屈した感じだと、「子どもを生み育てる方が人としての成長がある」という結論になるだろうか。

でも……憎悪の方が私にとっては潔いかもしれない。

そもそも人としての成長って何だろう。

自分よりも大切な存在ができることを成長と呼ぶ、だとしたら怖い。私は個人主義だ。子どもを作るというところまでは快楽主義でもできるだろうが、お世話には忍耐と愛情が必要だ。恋人やパートナーへの愛であっても、おそらく。

……なんで生物は自分の種族を愛し、生み育てるのだろう。

なんで種族が分かれているのだろう。
なんで食べ合うのだろう。


子どもを生む理由を検索していて、アンチナタリズム(反出生主義)という言葉にたどり着いた。

それを見てようやく、なんだか納得した。スッキリした。気が楽になった。
私のすべての疑問とモヤモヤが、この理屈で解決できそうだ。

関連ワードに「ヴィーガン」と出ている。覗いてみるとどうも、ヴィーガンの人がたどり着く境地らしい。ヴィーガンの人の考えを極めるとそうなり、アンチナタリズムであるということはヴィーガンであるということか。「ベジタリアンが食べてる植物も生き物じゃん」ということへの答えなのかもしれない。

人間、生物、すべての命への平等。不平等を置き去りにしたまま、ある種の納得と妥協をしてしまわなければ、やがてたどり着くのは「人類を傷つけずに消すこと」か。

私はアンチナタリズムの人になろうと思ったら、先にヴィーガンにならないといけないらしい。

たしかに肉を食べながら動物や生命の苦しみを思っているなんて言ったって、偽善であって本気じゃないもんな。いじめをしながら「いじめ可哀想~(笑)」というのと一緒だ。おかしいと思うならまず自分がやめなければ。


……でも私は当分、ヴィーガンとアンチナタリズムの境地にたどり着けそうにないな。そういう言葉があると知れて良かったけど。

反出生主義は地域猫の考え方に似ていそうだ。猫が増えないように避妊・去勢をし、その一代をみんなで面倒見る。

人間も増やさずに愛し合うというのは良いかもしれない。人間か生き物か、どちらかを殺処分するんじゃなく、人間の数をゆるやかに減らして終焉を目指すという考え方なのだろう。必死に歯車を回す世界から解放され、生産性や目的や意味を手放し、優しくなれそうだ。年齢差別も性差別も人種差別も環境破壊も、もう関係ない。

でも私は考え方を押し付けられることを好まなくて、自分に合わない考え方を見るとモヤモヤしてしまうから……それはアンチナタリズムに触れた人にとっても同じじゃないだろうか。

サッとアンチナタリズムへの反対意見を見た感じだと、私はアンチナタリズムへの反対意見に説得力を感じず、共感できない。アンチナタリズムの言い分の方が腑に落ちる気がする。が、反対派の人にとっては逆なのだ。

他人の考え方を支配する権利は誰にもないだろう。


アンチナタリズムは生きている何かを傷つける理論じゃない。繁殖するのが最大の人生の目的であり喜びであり、本能であるという人にとっては、繁殖を止められることは苦痛かもしれないが。避妊去勢された動物たちも、繁殖しなかったペットたちも楽しく生きているように見えるし、人間が他の動物の繁殖管理をしてきたのだから、人間が人間の繁殖制限することだけ理不尽ということもないかもしれない。まぁ一部と全部の違いはあるけど。

スピリチュアルの考え方で行くと、人はそれぞれ自分の選んだパラレルワールドへ移行する、はず。

ならば私がアンチナタリズムの世界を選び、他の人が子孫繁栄の世界を選び……と、みんな自由に選ぶこともできる。その理屈で言うと、私が仮にヴィーガンやアンチナタリズムを目指したところで、反対派の人の人生や未来に影響を及ぼすことはないはずだ。

毎日肉をむさぼっている私には、どの道無理だけれど……。

世の「常識」が襲いかかってくるように感じて、私はずっと怖かった。結局、今回アンチナタリズムに魅力を感じたのも、都合のいいところだけつまんで心地よくなったからかもしれない。

実際、繁殖が止まったら。人間のことだとよく分からないから生き物に置き換えて考えてみたら。セミもカマキリも今年で終わり、みんな死んでいっていなくなる。そんな世界を本当に目指したいものか。

とりあえず分かったのは、私があらゆる方面で出来損ないで中途半端であるということだ。私はどこにもたどり着かなかった。何も実現化できなかった。


みんなが懸命に命を繋いでいるということが時々辛くなる。けれど今はやっぱり、色々な生き物がいてくれることが嬉しいのだ。毎年生き物たちが現れてくれて、本当に良かったと思う。

ならやっぱり、私が落ちこぼれであるという結論で良いか。
……いや、やっぱり心許ないなぁ。
いつか心地よく安心できて、腑に落ちる世界を手に入れたい。

なぜ生き物は死ぬのだろう。
なぜ生き物は繁殖するのだろう。
恋をする理屈とは。弱肉強食とは。本能とは……。



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