見出し画像

はがき1枚も書くくらいの余裕を持て

”はがき1枚も書くくらいの余裕を持て”というフレーズは、下北沢の三省堂書店で鳩居堂のはがきを購入した帰りに思いついた。いくら忙しいとは言え、1日に1枚くらいはがきを出す為に文章を考えることに費やす時間くらいは持つべきだという自分への戒めも内包しているのだ。

鳩居堂のはがきを知らなくても、”路線価全国トップで知られる東京・中央区銀座5丁目の「銀座中央通り(鳩居堂前)」”というニュースのフレーズは知っているという人も多いだろう。あの鳩居堂のはがきを部屋で眺めている。ここのハガキは、ネットでググると、①シルクスクリーン刷 ②柄の総数は200種以上 と出ていた。https://kyukyodo.co.jp/product/letter/hagaki.html                                               

元々は四季の花柄がメインだったと思われるが、最近は季節によって花に加え、時節に関連する挿絵だったり、街角の風景だったり、そのバリエーションが絶賛増加中なのである。購入したのは、渋谷スクランブル交差点と、ガス灯の2枚である。ガス灯のハガキを電球の前にかざしたら、なんと透けて見えて何ともおサレである(企画担当者は、意図していないかも!)。

ハガキという存在について、自転車に乗りながら少し考えてみたが、この今の世の中にあって、あまりにも露骨な一面を兼ね備えていることに気づく。そう、相手に出した文面が、もろに露出したままで、あるときは、近距離、あるときは海を渡り、山を越えて目的の地にたどり着く。
基本Aという人が投函して、Bという人が受け取るまで、日本郵便の担当者以外はがき自身に触れることはない。ただ、あまりに、露骨、ハガキが刀を差さず(?)に幕末の京の町を歩く、、、という描写は少し大袈裟か。Bという人に対して出したものが、無防備なまま一定の距離を移動することになるわけだ。書かれた内容を”見ないこと”という性善説で1枚のはがきは移動してゆく。

当然、送る人は、暗証番号や、へそくりの額などは書き入れないので、発信者は、人目に触れても問題ない場面や、シーンでこの”はがき”という手法を活用するのである。一方、旅行などでの忘れられない風景や、風の香り、その土地で味わった味覚をBとシェアするには、もってこいの格安ツールである。SNSはタダでしょ、と指摘をするのは野暮なこと。言葉を紡ぎ、指を通して文字をしたためるのは、ハガキもSNSも同じだが、このはがきに書き記すという行為、所作は郵便制度が始まってかれこれ150年変わらずに存在し続ける。今も、そしてこれからも。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?