見出し画像

男の上に立つんだという「怒り」に満ちたバリキャリ時代の末に #国際女性デー【収録原稿#157】

今日も、おつかれさまです。スナックまみーのママ、まみーです。
お仕事に、お勉強に、育児に、恋に。
なにひとつ諦めずに、どうにかしたい貴女へ。
まぁまぁ盛りだくさんの試練を乗り越えながら
オンナとしてどうにか咲いてまいりました、私の小話をお届けします。
一度きりの人生、私と一緒に、ひと花、咲かせませんか?

こちらは、各種ポッドキャスト、音声配信アプリでお届けしておりますものの、収録原稿です。
音声ではこちらに少しアドリブが足されていますので、良かったらお好きなチャンネルでお聴きいただけると嬉しいです。

▼anchor, spotify,  apple podcast はこちらから

▼stand.fm はこちらから

3月8日は、国際女性デーということでね。

今日は私のキャリア時代の小話をしたいと思います。

前置きとして、少し、知識のお話です。

その起源は、今から118年前、1904年にニューヨークで婦人参政権を求めたデモが起源となりまして、そこから女性が政治参加できるような働きかけや、お仕事においても男女平等に働いていけるようになど
世界を変えていった女性たちの勇気と決断を称えようと、国連が、その71年後の1975年3月8日を、国際女性デーとして制定したという歴史があります。

この国際女性デーを象徴するお花は「ミモザ」で、花言葉は日本では「優雅・友情」イタリアでは「感謝」フランスでは「思いやり」といった言葉が込められるそうです。

象徴するお花がある日、っていいですよね。

で、そんな国際女性デーに絡めて・・・私の、経験談でございます。

私はですね、地方都市の大学を出てすぐ、グローバル大企業に入社した過去がございます。
そこから15年もその企業で勤めていたのですが

当時、就職活動するときに、一般職入社と総合職入社 という言葉がありました。

総合職というのは、いわゆる、ざ・サラリーマン という感じの、出張もするし転勤もするし、会社のためになんでもします、みたいな分類でね

一般職は、その総合職のアシスタントをするようなイメージで
転勤はなくて、出張もまあ滅多に行かないような分類。

よーわからないんですけどね。そういう分類が、多分今も、続いています。

で、私が新卒だった頃というのは20年くらい前のことでして
当時は女性は基本的には一般職入社をしがち 当時はJALとかすごく人気でしたね〜〜なんでか知らないけどね〜〜
ななか、医学とかそういった技術職以外の、ただ高学歴である、みたいな女性は総合職になりがち、という
なんとなくそういう流れがありました。

私もその、「ただ高学歴である」という群に所属していまして
当時は、女性社員と男性社員、半々くらいの比率で採用しなくては!みたいなね
そういった人事の考えも働いて、グローバル大企業の総合職になったわけです。

で、当時の私。

家族からどう言われたか。
私はですね、これスタンドFMのメンバーシップという有料の会員様のみには、詳しく身の上話をお伝えしていることなのですが、ざっくりいうと
超、男尊女卑の、毒親である父親の独裁国家 みたいな家庭で、一人っ子で育っておりまして。

その父親からは「女のくせに、そんな企業の総合職になるなんて、生意気すぎる」とか「海外への転勤があるということは、お父さんたちを捨てるということなんだな?」
「もうお前に親はいないと思え。」「死んでも、連絡が行かないようにするからな。」

と、散々言われました。
まあ、、その父親は今70代で、健在・・・なんですけどね。そんで結構電話とか、私の夫や娘にかかってくるんですけどね・・・私はブロックしていますから話さないですけど、まあそれはいいんですけど

そういう家でしたから、私の心に浮かんだのはこの考えです
「これで、羽ばたける!!」
「自分の人生を生きるんだ!!!」

とっても希望に満ちて、入社しました。

でも、、入社したその先は、とてつもなく重苦しい、男社会が待っていました。

それを象徴するような出来事は、あげたらキリがありません。
けど、続々と、生々しく、ご紹介していきたいと思います。

  • 入社式の後、採用に協力してくださった大学OBの皆さんと、採用された大学生とで壮行会があり、そこで「なぜ君を採用に推薦したか」ということを一人一人、言われたのですが、私は「女性を感じない、どんな試練も真面目に乗り越えそうな忍耐力がありそうだ」と言われ、私の隣にいた女性同期は「賢くて、可愛い 顔採用」と言われていました。

  • 入社式では、その会社のラグビー部採用の同期も何人かいたのですが、彼らに呼び止められ「ねえ、なんで女なのにそんなふうに働こうとか思うの?マジで理解できないから教えて欲しいんだけど」と問い詰められました。「そういう女は可愛くないし幸せになれないと思う」という言葉に、ヘラヘラっと笑って交わしたのを覚えています。今なら「あんたみたいなくだらない男に経済的に依存したくないからだよ」とキッパリお伝えできると思うんですけどね。当時は、ヘラヘラと交わしました。ここちょっと、後ほどポイントにしますからマーカー引いといてくださいね。お耳には弾けないけどね。比喩ですよ、ひゆ。

  • 配属された職場は、物流の現場を管理する部署でした。そこでは女性比率5%未満、の現場のお兄様たちを相手にするお仕事ばかりで、配属の歓迎会では、私はウサギの着ぐるみを着て、胸にタオルを詰めて、工場長、課長、組長、班長、みたいなね、ピラミッド組織の上から、上座から順に、お酌しながら、ベタベタと腕を回されたり着ぐるみの上からお尻を触られたり、していました。ほっぺにちゅーとかも、されてたな。

  • まあ、こんなところでもホステスするのかーと思いながらね、それをやったらもう、そっから私のいうことなんでも聞いてくれる、なんでも助けてくれる、というふうになりましてね・・・ほとんどの下っ端の作業員の方はですよ。

  • 組長とかそのくらい以上の、本当に力をお持ちの方々は、仕事で実績を残すことで、だんだん、信頼してくださるというね、流石にそういう感じでしたが、でもやっぱりそのお兄様というかお父様くらいの歳の差の方々からはよく言われていました「お前・・・何になりたいん?キャリアウーマン!ってずっとやってくのか?」「結婚はしないのか?」「お前は恐ろしいな」とね・・・

  • そのころの私の毎日は、朝6時に起きて7時に出社して、アメリカとのメールを打ち返した後、工場の中をぐるぐると回ったり挨拶したりしてから、作業着で現場に行ってプロジェクトのことを進めて、現場の稼働が17時に終わったら、戻ってからいろんな連絡書とか企画書とか予算の決裁書とか、そういった書類作りをスタートさせて22時まで。そこで勤怠システムを消してから、50分くらい延長して実質23時まで残業をして、帰宅。それが平日週5日、土日は、泥のように眠るか、マッサージに行くか、彼氏と会うか、現場の人たちのバーベキューやら飲み会やら、の集まりに営業のように顔を出すか。でした。

  • 服装もお出かけするようなものは持っていくて、いつもチノパンにTシャツとかパーカー。お肌も髪も全然美しくしていませんでした。とにかく、仕事中心にして、後のことは何にもしないような日々でした。できない、という感じですね。平日へっとへとで、土日なんとか休むけど、疲労は着々と蓄積して行っていましたね・・・

  • で、現場のお兄様の中には、私のような「のしあがろうとしている女性総合職」を目の敵にするような人も、少なくありません。あるときは、酔っ払った状態で深夜残業をしている会社のデスクに電話がかかり「お前がポンコツのせいで、俺が昇格できんじゃないか!」「いまからお前ん地に火つけたる!」「帰り道気をつけろよ!」という恫喝があったり、あるときは、朝生理痛でどうしても起きられなくて、現場のリーダーに電話したら「これだから女は困るんだわ、生理になるなよ」と言われましてね、まあ、生理、本当に来なくなったんですけどね、ストレスでね。

  • こんなことも。とある公園の男子トイレに、顔写真付きで私の携帯番号が張り出されて「まみです、5万円でいかが」みたいなことが書いてあるみたいで、しょっちゅう「まみちゃんですか?5万円でやらせてくれるの?」という電話をいただきました。これね、今も電話番号変わってなくて、どうやら今も貼ってあるみたいで、まだ年に数回、かかってくるんですよ。15年くらい、年老いた私にね、面白いですよね。大体丁寧に、それはイタズラですよ、と、お切りして、しつこかったら夫に出てもらう、というのをやってますけどね。

まだ色々とそういった、今の時代の方からすると信じられないような、でもね、同世代の中ではそんなに珍しくない経験をしまして、

そして、私は、仕事中心に毎日を送り、どう見ても、その部署の中では優秀な仕事ぶりを見せていたんですよ。

でも、結婚して出産するじゃないですか。で、私の場合、一人で、娘を育てるワンオペをしながら、育休半年で戻ったんですよね。

そうしたら、完全に「子供がかわいそう」「そんなにしごとするなよ」というふうに、上司からは言われて、その上の結構偉い、部下何百人も統括する「部長」からは「俺は子供のために嫁に仕事辞めさせたからなー 子供優先にしてほしいんだけどさ、そうやって働かれても、期待しづらいし、評価もそれなりになるしさ」と言われ・・・・昇格も、足踏みしました。

もう、書けば書くほど、「なんでそんな環境で長々と働いたの??15年も」

ということになるのですが
これね、それでもその企業での仕事を続けていたのは
完全に「怒り」のパワーが原動力だったと思っています。

いつか、見返してやる。
いつか、お前の上に立って、お前を踏んづけてやる。
いつか、お前が私にしたことを、後悔させてやる。
いつか、地獄に落としてやる。

というね、あのーもちろん、素敵な、まともな男性社員もたくさん、いるんですよ。私の夫、その会社で調達しましたしね。いるんですけど、まあそんなにはいない。

あと、これ、不思議なんですけど

私のその会社の中での男性の傾向として、気付いたのは、マネージャーとかに昇格された人は、なんか偉そうに価値観を押し付けてくる。
フラットな、単なる先輩だった頃は、私を応援していたくせに
マネージャーになった途端に、異様に強気に、
「お前みたいな女はさ、そういうとこが扱いにくいってなるんだよ」
「堂々とされるのは、男はいいけど女はなんか腹立つんだわ、そういうのも考えてやってた方が賢いぞ」とかね

おやおや、っていう目線で、突然言うようになるんですよ〜〜

だから結局、そういう腹立たしい男性にヒットしすぎて

「怒り」

をために溜めまくって、仕返しするまでは辞められない、
という考えでやってました。

ちょっと話脱線しますけど、

マネージャーに昇格すると異様に価値観を押し付け始める件
これ、経験上は、女の先輩だと、トント、そんな風にならなかったですね〜〜
女性のマネージャーになられた先輩の皆さんは
マネージャーとして、という責任感かしら、視野が広い、時流に乗った価値観に、ご自身をアップデートされて
もちろん性別のことなど言わないで、仕事の話だけにフォーカスされますし
ただただ貫禄が出て、かっこいいな頼れるなあってなった方ばかりなんですよ〜〜

なーんでしょうね。まあ、男性の方が、相応しくもないのに昇格しちゃいがちってことかもしれないし、母数が男性の方が多いから、そういうハズレ上司みたいなのも多いってだけかもしれないですけどね。

はい、お話はそれましたけれども

そしてそして。

そんな、怒りに満ちたキャリア形成をしておりました私の、今。

今ね、怒りなんか何にもないです。
今はね、こういう会社の中でまたキャリアを作るとするならば完全に「ゲーム」として楽しめる自信があるんですが

そうね、自分の心の次元みたいなのが上がったとでもいいましょうか。

これ、なんで、こうなれたのかな〜と
ターニングポイントを思い起こすと、

30代中頃ですね。
その、数あるムカつくエピソードのような感じのものがまた、あって
そしたら、怒りのコップが溢れる感覚で

プツンと

「諦め」になったんです。

「諦め」ってパッとぎき、闇堕ちみたいな感覚にも取れるんですが
そうではなくて、急に体の力が緩んだという感じですね。

もちろん、一旦、落ちましたけどね、1週間くらい。
毎日耳鳴りとかして、引きこもって寝てました。
その後です。

そんなにも早く、立ち直って次元上昇できたのは

心の状態が密かにそこに向かって準備されていたと思います。
もっと具体的にいうと
自分が「怒り」でやってるなぁということに気がついて
そういう自分を卒業したい気持ちが、沸々と、湧いてきていた。

だから、コップが溢れる感覚をきっかけに、「諦め」「脱力」できた。

では、なんで、その、自分が「怒り」に満ちていて
これを抜けたいなと思えるようになったかというと

それは、娘の存在のおかげです。

フィジカルには、まあ単純に、ホルモンが分泌して ってこともありますが

「娘に、どんな姿を見せて生きていこうか」ということをね
考えるようになりまして
自分を、初めて本当に直視して、目を逸らさずに、嫌なところも全部見つめて

その根っこにあるのが、父親への怒り、だったんですがそれも全部全部、見つめて

その、父親を筆頭とする男性に対して
「怒りに満ちて、ずっと生きてきたな」ということに、向き合って
こんな姿は、見せたくないな と思ったんですよね。

もう、いいじゃんと。
私は、女であって、母であって、私が求めたい幸せは、ある。
もう、周りのムカつく人たちのこと、いいじゃん、ほっとこう

私は、私の人生を楽しもう。と。

それが、娘が私にもたらしてくれた、一番の変化
というか、人生を通しても1,2を争う、大きな心の変化 でした。

さあ、長くなりましたね!
国際女性デー。元々は怒りの力だった。
今も、地域によってはまだ、怒りの力で何かを変えようとなっていると思います。

でもね、怒りの力に身を浸していると
少なくとも お花は、咲かないんです。

どんな残念な環境でも、強く、しなやかに、美しく、「開花」するお花を
一輪でも二輪でも
増やしていきたいなぁと思っております。

私は、たまたま、自分の娘がきっかけをくれましたが
他にもキッカケになり得ることは色々とあるはず。

少し抽象的な締めくくりになってしまいましたが
もし貴女が今、「怒り」に満ちて、キャリアや人生そのものと向き合っているのならば

ぜひ、そこから「きっかけ」を掴んで、一歩抜け出すお手伝いをさせてくださいね。

人数限定、無料のラインオープンチャット「やさしい開花サロン」にて
お待ちしております。

ではまた、お耳にかかるまで
お元気で、おだやかに
お過ごしくださいね。

ごきげんよう〜


オープンチャット「やさしい開花サロン」



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?