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私が幸せになる理由

先日、月末で忙しい中
時間をもらって
3日間の研修に参加してきました。

心よく私を送り出し
仕事と家庭のサポートをしてくれた
家族には感謝しかありません。

本当にありがとう。

研修で自分自身と向き合う中

「なぜ幸せにならないといけないか」

ぼんやりとしていた
その答えがはっきりと
見えてきました。


【忘れられない出来事】

私の幸せの理由を語るためには
ある出来事を避けては通れませんでした。

今年の5月に経験した

「流産」です。



【うれしさと不安の妊婦生活】

私のお腹の中に赤ちゃんが
いることがわかったのは
今年の4月末。

不妊治療に取り組み始めてから
半年も経たないうちの知らせでした。

うれしさと少しの不安

4歳の息子も
赤ちゃんができることを喜んでくれて


「赤ちゃんが泣いたらお世話してあげる」


ともうすでに
お兄ちゃんの顔になっていました。

空腹時に軽いつわりを感じること
昼間に猛烈に眠くなること

それ以外は健康そのものの妊婦生活。


ベトナムのダナンにも行きました。

寝る時間を削ってBeauty Japanの課題にも
必死で取り組みました。


すべてはこのまま順調に進んでいく。
そう思っていました。


【突然の別れ】

5/29の夜
生理の始まりのような
おりものに血が混じったような出血

ネットで調べてみると
「妊娠中にはたまにあること」
と書いてあったので
あまり気にせず過ごしていました。


翌日5/30
生理の終わりかけのような
赤褐色の出血

「…何かがおかしい」

そう思って翌日5/31
予定を早めて産科を受診。


診察室に入って問診を受けたあと
まずはエコーで赤ちゃんの様子を観察。

先生の手が止まる。
嫌な予感。


「あぁ…心臓が止まってしまってるね。」


「赤ちゃんの大きさから見て
 1週間前ぐらいにはもう止まっていたと思う。
 流産になります。」


頭が真っ白になりました。

まだ2cmながらも
頭と手足が見えている。

なんて愛おしい姿だろう。
こんなにかわいい私の赤ちゃん。
なんで動いてないの。。

涙が次から次へと出てきて
先生の話もほとんど覚えていません。


「お腹の中にずっといるのは
 よくないから
 手術で早く出してあげた方がいい。」



人なのに
物みたいに扱って
外に出すなんて…
悲しくてまた涙が出てきた。


「赤ちゃんが亡くなったのは
 染色体の異変で
 お母さんのせいではないよ。
 10人に1人はこのような
 経験をされている方もいるから。」



こんなことで
10人に1人なんて入りたくなかった。

いつもはくじ引きもハズれるのに
なんでこんなことだけ当たるの?

お母さんのせいではないと言われても

あの時海外に行ったからかな…
3時間睡眠が続いたからかな…
私の年齢が高いからかな…

ダメな理由がたくさん
思い浮かんで
あの時ああしていればの
「タラレバ」ばかりが浮かぶ。

【会いに来てくれてありがとう】

たった10週間のあいだ
私のお腹の中にいて
この子は幸せだったのかな。。

自分の食べたいを優先して
添加物たっぷりの
体に悪いものもたくさん食べた。

もっと美味しいもの
栄養のあるものを食べて
たくさん栄養をあげたら良かった。。


6/1
大量の出血があり
流産が進行を始める。

病院に連絡をして
緊急手術を受けることに。

ついにポニョちゃん(胎児の名前)は
私のお腹からいなくなる。

麻酔をかける前
手術台の上で先生が
お腹のエコーを見てくれると
その拍子に赤ちゃんが
外に出てきてくれました。

「いま赤ちゃんが出てきてくれたよ。
 見ますか?」

わたしは2つ返事で

「はい。見たいです。」

と答えました。

赤ちゃんは
ちょうど親指ぐらいの大きさで
透き通るような色をした指人形のよう。

その顔には
小さいながらにも
可愛らしい黒い目が2つあって
本当に本当にかわいらしかった。

「うわぁー、かわいい!」

思わず私は声に出して
微笑んでいました。

普通だったらこんな風に
会えることはないそうです。

最後の最後に私に会いに来てくれて
ありがとうね。


【幸せの理由】

私が幸せになる理由は
抱っこもしてあげられないまま
天国へ行ってしまった
この子のため

この子が
送れなかった人生を
送りたかった人生を
後悔なく生きていくため。

あなたの母親でいれたことを
私は誇りに思います。

これからも私は
あなたの母親として
誇らしい生き方をしていきます。

どうかいつも空から
私たち家族を見守っていてね。

私たちのところに来てくれて
大切なことを教えにきてくれて
ありがとう。大好きだよ。

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