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人生を変えてくれた本『兎の眼』[55/100]

灰谷健二郎さんが好きだ。
不条理なことが罷り通る社会への批判と、それに屈しないための姿勢を教えてくれる。自分の信念を貫こうと思った時に、背中を押してくれる。

どの作品も全て好きだが、特に思い入れがあるのは『兎の眼』。小学4年生の頃に読んだ。あの頃、私は学校にも家にも居場所がないと感じていて、人生のどん底だった。10歳の私には、逃げるところがなかった。

『兎の眼』から、学校が決めた評価軸が、いかに狭窄なものかを学んだ。一時期の、一つの側面で人を判断することのバカバカしさを知った。そして、自分の中の正義を行動にうつせる人へ憧れを抱いた。今でも私の行動規範的な小説となっている。

特に印象に残っているのが下記のセリフ。舞台となっている小学校の職員会議で、知的障害の子どもを学級に受け入れた新任の先生を援護射撃するベテラン教師の言葉だ。

『効果があればやる、効果がなければやらないという考え方は合理主義といえるでしょうが、これを人間の生き方に当てはめるのはまちがいです。この子どもたちは、ここでの毎日毎日が人生なのです。その人生をこの子どもたちなりに喜びをもって、充実して生きていくことが大切なのです』
(略)
ちえおくれの人たちのことを障害者とわれわれは呼ぶが、心に悩みをもっているのが人間であるとすれば、われわれとてまた同じ障害者です。

『兎の眼』灰谷健次郎 理論社 P159

それまで「普通一般くらいできないと、苦労する」と言われて育った。「けじめをつけて、効率よくやりなさい」と壁に貼られていたのを思い出す。それまで、両親から言われるその価値観は「絶対」だった。その価値観が揺らいだのがこの言葉だった。

何が普通なんだろう、誰が普通を決めるんだろう。普通じゃないって、どういうことなんだろう。何が成功で、何が失敗なんだろう。

浮かんだ疑問を咀嚼して、たどり着いた答えは、他人にとっての正解が、私の正解とは限らないんだ。それは、両親もしかり、ということだった。
親と私は違う人間と割り切れるようになったおかげで、その後の人生はずいぶんとラクになった。

「人と違うこと」を恥ずかしいと思っていた。でも実は、その違いを恥ずかしがらなくていい。むしろ、受け入れあっていくことで、生きやすくなると気づいた瞬間だった。これは、今でも思い続けている。

それでも、点数や、偏差値、価格、年収のように、数値化によりわかりやすくジャッジできる評価を、気にしてしまう自分がいることは否めない。だけど、そんなときこそ、上記のセリフが私の脳裏をよぎる。

この本との出会いをさかいに、むさぼるように本を読むようになった。おかげで、活字中毒なんじゃないかと思うほど、ずっと「読んで」生きている。
最近、その「読む」ものを「書く」ほうの末席に加わるようになった。誰かの心を開放する、生きやすい世の中にするために、0.1%でもいいから、貢献出来るように、言葉を紡いでいきたいと思う。

今日の『今日コレ』受けは、ミヒャエル・エンデの本を夢中で読んだ記憶から、初めて価値観を変えてくれた本の記憶を辿りました。

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