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日常を噛み締める[100/100]

11歳の二女はまだ、私と寝てくれている。
「1人で寝るのは怖い」と言うのだけれど、半分は母孝行のためなんじゃないかと思っている。

娘の隣で寝れるのは、あと何回だろう。
そう考えると、愛しくて、寂しくなる。
娘の体温や息遣いを感じながら眠りにつくとき、無宗教ながらも「神さま、ありがとうございます」と心から思える。

旅行や、お出かけ、行事がある日を「特別な日」として、その他の日を「滞りなく流す日」みたいな過ごし方をしてしまう時がある。
そんな日が続くと、少しずつイライラしたりガルガルする自分が増えている気がしている。経済合理性…か、効率とか、有意義なこととか、「目に見える意味あること」ばかりに捉われていて、心が麻痺しそうになっていっているのだと思う。
「忙しい」は「心を亡くす」と書くとは、よく言ったものだ。私にとってそれはとても不自然なことなので、その不自然さにイライラして、ガルガルしていると思っている。

だけど。
めちゃくちゃありきたりな言葉だけど、日常こそが宝なんだ。
昨日は長女の14歳の誕生日会を家族みんなでした。
Google Photoに貯まっている昔の写真を見返すと、七五三のときのオスマシ写真もいいけれど、近くの公園での泣き顔写真や、朝のお寝坊の顔などが特別愛しく感じられた。

有事のときに「日常の愛しさ」が話題になるけれど、その時だけでなくて、ちゃんと毎日を噛み締めて生きたい。そんな2024年にしたいと思う。

いま、隣で漫画をニヤニヤしている娘の横顔も、覚えておこう。

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