優しさってなんだろう[86/100]
メリークリスマスイブ!
本当は、娘と一緒に寝たかったが、昼間に遊んでしまったので、夜にいろいろとやらねばならぬ。残念でしかない。
その残念な気持ちが先に立ち、久しぶりに感情に余裕がない。おかげで、自分の理想や考えていたことから離れてしまうと、悲しい気持ちが先に立ち、余裕がなくなる人間なんだな、と自己理解が進んだ。
今日は日中、二女と一緒に『窓際のトットちゃん』の映画を観にいった。黒柳徹子さんの幼少期のお話で、ベストセラーのあの書籍をアニメ化したものだ。映画を観ながら、「優しさって何だろう」と考えていた。
そのきっかけはクラスメイトの泰明ちゃんの2つのシーンが心に深く残ったからだ。
第二次世界大戦前、まだ日本にテレビがなかった時代に、黒柳徹子さんに「テレビ」の存在を教えてくれたのは、小児麻痺を患っていたクラスメイトの泰明ちゃん。黒柳徹子さんは、さまざまなメディアで泰明ちゃんとのエピソードを語っている。彼女にとって、大きな存在の人だったのだろう。
泰明ちゃんは、小児麻痺により片方の手と、片方の足に力が入らない。外遊び中も本を読んでいる泰明ちゃんを見て、黒柳徹子さん(トットちゃん)は「木登りの楽しさを共有したい」と考えた。それで、2人で夏休み中に特訓をし、泰明ちゃんは最初で最後の木登りに成功する。成功したからよかったものの、大人ナシではしごを使って屋根ほどの高さまで木登りをするという、非常に危険な挑戦をしているわけだ。身体に障害があった場合、多くの人は「登ってみない?」と誘うことは「優しさ」ではなく「無茶ぶり」だと思うのではないだろうか。
でも、トットちゃんは、泰明ちゃんへの「優しさ」ゆえに、木登りを手伝い、木登りの体験を共有することができたのだった。
一方で、腕相撲でトットちゃんと泰明ちゃんが闘うシーンでは、トットちゃんはわざと負ける。そして、わざと負けたことがわかった泰明ちゃんは「手加減するな」と泣いて怒りを露わにした(書籍では、登場しないシーン)。
誰よりも「一緒にできる」と挑戦を後押ししてくれる存在のトットちゃんだからこそ、手加減して負けてくれたという事実が、泰明ちゃんにとっては屈辱的だったのだ。
「できっこない」と思っていることを「できるよ!」と背中を押して、全力で助けることも「優しさ」。
そして、不利な状況にいる相手を慮って、ハンデを与えるのも「優しさ」?
優しい気持ちで接すれば、相手にも伝わるのではと思いがちだけれど、そんなこと、まったくない。「ツライ」と言われたときに「じゃあ、やっておくから休んでて」というのが優しさだと受け取られるときもあれば、優しさではないこともある。
子育て中、子どもの看護で日中作業ができず、夜に対応させてほしいと言ったとき、「夜までやらなくていい、お大事に」と言われて心底ありがたい時もあれば、「明日までに用意できていれば何時でもいい」と答えてもらって嬉しい時もあった。
優しいとは、ときに厳しいこと。適切な期待をすることだと思った。
そのために、相手に対してどんな状況にあり、何を言いたいのかを聞く必要は大いにある。優しいって、難しい。
仕事はラクで、給与も高く、休みもしっかりとれる仕事では「つまらない」と不満を抱くように、そんな簡単に「優しさ」は定義できない。
だからこそ、あまり考えないで適当に「こういえばOKでしょ」という対応は、しないようにしよう。間違ってしまうこともあるだろうけれど、それでも、「適当にいう」のと「ちゃんと意図して言う」のでは違う……かもしれない。優しいってなんだろう。優しい人って、どんな人なんだろうか。
私は、娘や夫や、大事な人に優しくできているのかな。
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