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人と違うことを恐れない[75/100]

わたしは自分の娘(2人)を尊敬している。親バカ?そうかも。
いろいろとポイントはあるのだけれど、
そのうちの一つに「自分のしたいことがはっきりしている」ということがあげられる。

我が家には、Switchがない。
ついでにTVもない。二女はスマホも持っていない(ので、TikTokなどのSNSはほぼ見ない)。

たまに話の中で「友だちのとの話題についていけない」という言葉が出てくる。
余計なこととは分かりつつ、ついつい「Switch買って欲しいの?」とか「TikTokみたいの?」なんてこちらから聞いてしまう。
すると、必ず答えは「NO」なのだ。

なんでなんで?
わたしが怒ると思ってるのかな、なんか我慢しているのかしら。
なーんて要らぬ心配をして、Switchをポチりそうになることは、数回ではすまない。

彼女たちは「他にやりたいことがあるから、それ(ゲームやスマホ)があると、時間がなくなる」と言うのだ。

やー、すごい。
わたしは小さい頃「みんながやっているから、やりたい(ほしい)」と何度も言ってた。
みんなの話題についていきたかったのもあるけれど、人と違うのがイヤだったのだ。

わたしの中にある「ふつう(たいていそれは、クラスの一部の女子だけのふつう)」に近づくようにしたかった。

でも、世の中には「ふつう」なんてない。
あえて定義するなら「大多数の人が属する方」だろうか。でも、Aという切り口なら「ふつう」だけど、Bという切り口だと「ふつうじゃない」というように、全部の項目が「ふつう」な人なんていない。

成長とともにその事実に気付き、今では「違いを否定したくない。楽しみたい」と思っている。

それでも。

いまだに「人と違う」ことは怖い。
うっかり「必要ない」と言われるSwitchを購入したくなっちゃうほどに。
だから、娘たちがなぜに「人は人」と達観しているのか、すごく知りたい。


この物語は、「どうしてママはみんなと違うの?」と娘に聞かれたロバートが、自分も体が小さくていじめられた過去を思い出し「人と違うことは悪いことではないんだよ」と娘に伝えるために即興で作った物語なのだとか。つまり、ダイバーシティの話だったのである。

トナカイの自己肯定感と、ある看取り【さとゆみの今日もコレカラ/043】

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