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祖父との思い出[37/100]

高校の卒業式が終わり、大学に入学する前の春休みに、祖父と日帰り旅行をした。

祖父の家のある滋賀から、広島まで。目的地は原爆ドーム。青春18きっぷを買って出かけた。
普通列車だけで広島に行くとなると、片道7時間ほどかかる。それを日帰りで帰ってくるのだから、なかなかの猛者だな、と今なら思う。

年金生活に入っている祖父たちに負担をさせたくないし、かと言って私もお金もない。
それで青春18きっぷを使っていくことを考えた気がする。

国鉄で働いていた祖父はいわゆる“乗りテツ”だったこともあってか、特に驚くわけでもなく、快諾してくれた。祖母も誘ったが「そんなん、よういかん」と言われて断られた。

今の私でも断る。当時70代の祖父がよく付き合ってくれたな。

早朝に出発する私たちのために、祖母は私の好きな明太子のおにぎりを作ってくれた。祖母の明太子のおにぎりは、真ん中に具を包むのではなく、ふりかけのように全体に混ぜ合わせたものだ。

約7時間の電車の行程は、祖父が全部調べてくれた。今から20年くらい前。スマホなんてない。
紙に全部の電車の時間、ホームの番号まで書き出してくれていた。

その行程表を作るために、1週間前から分厚い時刻表を見ながら書いていたと、祖母が言っていた。

すごくバカなのだけれど、この日私が祖父と何を会話したのか、全く覚えていない。
広島に昼過ぎにつき、広島焼きを食べたこと。それから原爆ドームまで歩いて行ったこと。原爆ドーム前にある広島平和記念資料館では、一言も話さなかったし、別行動したように記憶している。

祖父はそもそも、私に昔の話をあまりしなかった。それでも、やっぱりなにか少しくらいは話したと思うのだ。今となっては一言一句聞き逃したくない、忘れたくない祖父の言葉を、私は流しきいてしまったのだろうか。

おぼろげながら思い出すのは、祖父が幼少の私に歌ってくれていた『小山の杉の子』の歌を歌いながら広島の街を歩いたことだ。

「お国のために」の雰囲気漂うこの歌を、どんな気持ちで歌ってたのだろう。何が見えていたのだろう。

戦争が終わったとき、祖父は12歳だった。何を考え、どんなふうにして生きてきたのか、ちゃんと記憶しておきたかった。


さとゆみさん『今日コレ』、6日目はお父様との思い出。ポンコツな私は、どんどん忘れていくので、今覚えていることを少しだけでも残しておこうと思った次第。

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