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生きるって?教育の本質


まみです。

以下は昨日、書いたものです。

とてもいいお話。子育て中の方には、参考になることもあるのではないかと思います。   幼少期は特に、人間は"感覚"から育み、そして"体を動かし"...

Posted by 中村麻美 on Wednesday, May 26, 2021


教育という分野は、
ビジネスとは、・・に匹敵するくらい
私にはよくわからない分野である。

「教育とは」、と検索するだけ、
とてつもないヒットをする。

コトバンクはこちら
wikiはこちら

定義付けるのに、
これほどの枝葉があると

何を持ってして、
教育というのか、定まらないw

2000年以上前の孟子から
教育という概念が生まれたのが
最初とされていますが、なんと
日本では江戸時代(1603-1868)から
言われるようになったそうで。

最近じゃん!!っ。

それまでの『教育』とは
一体、何を指していたのでしょうか。

人類がこの世の誕生したのは
500-700万年前と言われていますが、
(猿から人間へ枝分かれ進化したとされている人類のこと)

現生人類はボツワナで20万年前に誕生
していると言われています。

スクリーンショット 2021-05-27 20.46.30

人類の進化の過程
約40万年前:ネアンデルタール人(現生人類の祖先と分岐したとみられる)、ヨーロッパからアジアにかけて出現
約30万年前~約20万年前:ホモサピエンス(現生人類)、アフリカに出現
約5万年前~4万年前:現生人類がヨーロッパに到達

このホモサピエンスについては、
ハラリさんの本を参考にされるといいです。
サピエンス全史



その頃はどんな行為を
教育として捉えていたのでしょうか。

より動物的で本能・原始的な思考で
あったにせよ、
考える力はあったわけです。

現生人類よりはるかに能力の高かった
ネアンデルタール人が滅び
なぜ、ホモサピエンスが生き残ったのか、

それは、弱者だったこと、
また群れることで命を繋いできたことが
あげられるようです。

それをハラリさんは
3つの革命があったと名づけ定義づけました。

一つ「認知革命」
一つ「農業革命」
一つ「科学革命」

一つ目は弱者ゆえのコミュニケーション能力
虚像・偶像を作り上げる知性?を得たこと。

これは現代にも繋がる話で
この3次元マトリックスを
生きる私たちのことを
指しているかのようですね。

世界共通の夢を見ることで、
それを現実だと思い込んでいる。

ネアンデルタール人は、
実際に自分の身に起きたことを
事実とする傾向があるため、
噂話や虚像を信じなかったんですね。

また能力の高さから、
一人立ち、自立をしていたので、
群れることはなかったそうです。

夢から覚めた人類であったと言えます。
(なので滅びたのではなく、私の考えでは次元上昇し他に転生した、と言えるかと)

ホモサピエンスの進化は、
一体、どこへ向かおうと
しているのだと思いますか?

日本ではここ数百年で生まれた教育によって、
それらが今後、どのように変化をするのだと
思いますか?

養老孟司さんは、
人間よりも遥か昔に生物として
成立している自然や動物たちに
原点を見ているお話をされていました。

そこと同調し、調和した生き物に
不調和な原子構造による人工物、化学・科学が
勝つことがあるのでしょうか。

その結果、自然も地球も
汚染されたのは勘違いなのでしょうか。

これが江戸から続く教育や革命、
進化の結果なのでしょうか。

それとも、別の働きによる
結果なのでしょうか。

弱者だから生き延びる術を身につけ
虚構を生み出し、繁栄してきた人類。

人類がそこといったん、向き合うことが
この後に調和した世界を創造する
ヒントになり得るのではないかと
私は思っています。

そしてそこに教育の本質が
あるのではないかと感じています。


私たちは本当に弱者である
必要があるのか・・。

虚構を生み出し群れないと
不安を増長する知的生命体なのか・・・。

常に群れていないと、
生きられないのか・・。

宗教がなぜ生まれ、
ここまで発展してきたのかは、
よくわかりますよね。

コミュニティもその末端の位置付けに
なるのだと思っています。

そしてそれは最終的に
神とは?

という問いにたどり着きます。

偶像を続けるのか、
それともかつてのネアンデルタール人
のように、実在を生きるのか。

結局は、認知革命的に、思想や哲学領域に
なってくるのだな〜と思うのです。


ただ、現代が「科学革命」と言われるように
科学の進歩により、私たちが健康的に幸福的
に暮らせるヒントのエビデンスは数多く出ています。

でもその本質は数多くはありません。

行き着くところは
ひとつに集約されています。

そしてそれは本来であれば、
学ばずとも遺伝子DNAが記憶しています。

もっと辿れば、
原子が記憶しています。

それは究極は個ではなく、
私たちは一体であるという記憶
であるはずです。
(そもそも論、群れまくっているww)

そこに目覚めることが
教育の本質ではないかな、と。

それが目覚める人と
そうでない人の違いも
科学は明らかにしつつあります。


そこに真の幸福も安心も
そして豊かさもあるのだと
私自身は感じています。

虚構ではなく、
今、この瞬間の一体感。

その副産物として、
科学・化学の力や人工物が
自然と調和した原子構造の状態で
生み出されたらいいな、と。

なので、養老孟司さんのお話は
とても真理に基づいている
そう感じるのですね。

心の奥底で、深層意識で
私たちは確実に一体となり繋がっています。

その自分とも言える存在を
やはり愛しいと感じるのは、

これは単なる妄想であるのか、
それとも、そこを基準にして生きることが
より良い人間の進化へと繋がっていくことなのか。

ま、何はともあれ、
如何様に進化しようとも、

それも次元(時間)の中の出来事だよな、
とすぐに冷めてしまう私もいるのですが。笑

教育とは、を定義するのには、
私にはまだまだお勉強と実践が必要なようですw

でも科学革命の次は、

『教育革命』が起きるのではないか、
そんなことを感じるこの頃です。

愛の中の思いやりや優しさと共に
知性は不可欠です。

それはより高度な知的生命への
進化だと思っています。


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