言うなれば、愛。

その人との出会いは私が中学2年生のとき。
もう出会って何年なんて数えるのも億劫になるほどの月日が流れた。

その人の歌は私の青春そのもので
その人の声を聞けば当時を鮮明に思い出す。
どんなに有名なミュージシャンより
その人の歌が
その人が
私にはなくてはならないのだ。


なのに
その人の歌が聴けないときがある。
【聴けない】のか【聴かない】のか。
どんなときも大好きだ。
それに何一つ嘘はない。

なのに聴けないのは
心が揺さぶられるからだ。
人間らしくなるからだ。
心がむき出しになるからだ。

歳を重ねるごとに会える人は少なくなっていって
話をすることもなくなっていって
独りだとは思わないけれど
一人で耐えなきゃいけないことが多い。
そんなときに傷ついてしまったら治りは悪いから。

あえて聴かないのかもしれない。

聴いてしまえば
弱い自分が主張してきて
心が少しズキッとする。
(言っておくが、この弱い自分は結構好きで
弱い自分がいるから今があるとも思っている。)
もっと言ってしまえば
頼りたくなってしんどくなって
なんかそんな自分がめんどくさくなってしまうときもある。


私から見ればその人はとても素敵だ。
どんどん素敵になっていく。

だろ?って言い切れないって
言う姿すら素敵だ。

そんな人が歌う姿を久しぶりにみて
やっぱり心が揺さぶられて
熱くなって苦しくてでも幸せだ。

こんなに長い間、変わらずに呼び合えるとも思っていなかったし
こんなに変わっていった中で変わらずに笑い合える瞬間があるなんてあの頃は思わなかった。

我ながら中2の自分あっぱれ。
めちゃくちゃ見る目あるじゃん?笑

聴かないとか聴けないなんて書いたけど
多分この世で1・2を争う勢いで聴いてるし(笑)
あー、もう無理
ってなる夜は布団に潜り込んでイヤホンで聴く。
そして泣く。

それほど私の日常に存在していて
彩っている。


何が言いたいって。
笑いながら歌うその人も
苦しそうに歌うその人も
泣きながら歌うその人も
究極歌ってなくたって

大切ですよってこと。

それと気付いてしまったのだが、
「聴きたい曲は?」
が世界一難しい質問だということ。
多分それ以外は何を聞かれても案外サクッと答えられる自信はある。
自分が聴きたい曲が聴けるなんて
ハイパースーパーウルトラミラクルハッピーなのに
答えられない。
はー、悔しいこと。


なるべく言葉にして想いを伝えたいと思うけれど
思えば思うほど言葉にならないときがある。
そんなときでもいい意味でそれでいいやって思える。

そんな人をすべてをかけて大切にしていきたいと思う。
重いってかー!笑

そりゃそうだろ、愛だ。


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