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日記11月5日。 #日記

昨日の夜は寒かった。

このコロナ下で、毎日の通勤はするものの、会食の機会は少なくなっている。昨晩は久しぶりに、おでん屋に行った。満員であった。気が付くと、帰り際の駅のホームも人でいっぱいであった。体感での電車の込み具合も8割程度戻った気がしている(ここは東海圏)。日常が前の通りとなることは(すくなくとも皆さんの意識の変化はあるわけで)ないわけであるが、すこしずつ日常に戻ろうとする感じが出てきた気がする。

だが、これからの生活にはまずは頭の中にコロナ、ということへの意識がついてまわるだろう。コロナの前とあと(あと、と感じられるのはたぶんワクチン開発後であろうが)ということで、いろいろなことを考えるようになるだろう。昨日の帰りに寄ったデパートでは、テナントらしい時計店が11月末で閉店するとの張り紙があった。時計というものは、もちろんメンテナンスが必要な場合が多いが、比較的買った店でないと、ということが少ない。最近はSEIKOは限定モデルを販売経路を限定する形で、価格を高めに販売することを狙っているが、限定品以外はどうしても一番安いECで購入、ということになる。路面店では人件費等が付加されるので、AMAZONや家電量販店の価格がだいたいは最低となる。製品により個別状況の差はあるだろうが、さまざまな製品で、大体は同じような感じで路面対面販売が減り、店が減ってゆくのだろう。

とすると、ウインドウショッピングが成り立たなくなる。実際に外に出て、という意味での。バーチャルで見たような気になる、ということはあるだろう。そうすると、”ひとびとの間で見られる自分”というシチュエーションが減ってくる。つまり”自己表現のための服やメイク”をほぼすべての人が日々行う、ということがなくなる。もちろんハレの日、ホテルで会食、というようなことは残るだろう。だが日々の自己表現機会の絶対量は激減する。

それはつまりアパレルや自己顕示としての消費活動の衰退であろう。服にしろ、車にしろ、”人に見せる””人と差別化する”必要がなくなる、というか出来なくなる。つまり服はユニクロのベーシックなものでOK、ということになる。私もすでにそのモード、どちらかというと体を鍛えて絞って、ベーシックな服でサイズが合っていれば基本OK,という感じに最近はとみになってきた。

ワールドやレナウンの路面店撤退や倒産はそういう意味では将来が描けないので、という判断であろう。ECでそういう傾向はあったが、コロナで一気にその流れがすすんだ、ということだろう。

もう一つの大きな自己表現、特に女性の場合の化粧に関するアプローチも変わるのだろうと思っている。つまりマスクで顔半分が分からない。人によって差があるだろうが、私の場合人込みでは結構行きかう人の顔を見ていた(すみません)。いまは見ようという意識が大きく低下した。マスクで顔の美醜がわからないからだと思っている。もちろん目は見えるし、鼻の上部は見えるが、いままでにしていた”顔を見る”という行為もなくなってきた。”人混みの中での匿名化”である。別にマスクをやめようという話ではない。だが、従来は人混みでは難しかった匿名化が、いまではあたりまえになったのだ。イスラム圏では宗教上女性は髪を隠すが、意図は違うが結果は全世界で似たような感じになっている。人々の意識の結果的な大きな変化、ということになるだろう。

平安時代、勝手な理解だが、深窓の姫君の顔はほとんどの人が見たことがなかったということだったように思う。これからは当面、マスクを取った顔はだれも見たことがない、ということに、なるように思う。

後世、コロナでの大きな変化の一つ、という評価がされるのではないだろうか。




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