見出し画像

今年1年の終わりに【いまを生きる】について考える

こんにちは。一年の終わりにノートでも書いてみようかと思ったら最後の投稿から1年以上経過しておりました。。

今回は、【今を生きること】と【後悔】について私なりの意見を述べてみたいと思います。

あなたは、【いま】を生きていますか?それとも、意識が未来や過去にトリップしてしまっているでしょうか?いまを生きる、というのはこの瞬間にフォーカスしているか?という意味です。

私は数年前、結構著名な方のマインドフルネスの講座を受け、とても感銘を受けました。それだのに…!気がつけば子どもの学校のことやスケジュール管理、家事や仕事のあれこれなど、思考が【未来】へトリップしてしまう有様。

そんな私ですが、気がつけば【後悔すること】、つまり【過去】に思考力を奪われることが極端に少なくなりました。それは私が順風満帆な人生を歩いているからではなく、むしろ他人に誇れることなんて何ひとつない人生を【それでいい】と受容できたことがきっかけでした。

転機になったのは数年前、20年来の親友を亡くしたことでした。毎日悲しくて悔しくて、何度も彼女にもう一度会いたいと願いました。でも、何度考えても【彼女に会わなければよかった】とは思いませんでした。過去に戻れるとしても、私は躊躇いなく【彼女と出会う】という決断をするはずだからです。彼女が私の人生に与えてくれた影響を考えたら、この悲しみなんて微々たるもの。

彼女と出会えたことは私の誇りです。しかし、この【自分】として生を受けなければ、彼女に出会うこともなかったのです。そう思ったら、それまでダサくて恥ずべきと思っていた自分や自分の人生を、なんとなく受け入れられるようになりました。他人に誇れものなんか何もなくても、私が自分自身肯定できることのほうが遥かに大事だと気づいたからです。

私はそれまで、一度起こってしまったことは結果がすべてだと思っていました。まるで試験のように、うまくいかなかったことは不合格の烙印を自ら押していたのです。しかし、そのイベント自体は過去になっても、【自分の解釈】はいつだって変えられる。後悔になるかならないかの分岐点はそこにある、と私は思っています。私の例で言えば、この別れが死別はなく、私が発端の喧嘩別れだったとしても、彼女という素晴らしい人に出会えたこと、ある一定の期間を共に歩んだことに変わりはない。彼女を傷つけたことを悔やむでしょうし、今も関係が続いていたら…とは思うでしょうが、あのときの自分にはそれが精一杯だったと認めます。そして、かつて自分のことを大切に思ってくれた人がいた、あの時の私はとても幸せだったという事実とともに生きていくと思います。

先日友人にこの話をしたとき、彼女は私の気持ちがよく分かると言いました。彼女も大切な伴侶を数年前に亡くしたのですが、初めてパートナーとの馴れ初めを話してくれました。出会った頃、パートナーの方は決まって落ち着きがなく、転んでばかりいたといいます。しかし、お付き合いをしてからはそれがぱったりとなくなったので理由を尋ねてみると、【だってあなたと恋に落ちる予感がしたから (I used to "fall" a lot because I knew I would "fall" in love with you.)】と話したそうです。そして、【どんな選択肢を与えられても、何度だってパートナーと出逢うだろう-- "I would make the same decision all over again."】と語る友人に胸が熱くなりました。

人生100年時代、【後悔と思い込んでいたこと】が案外自己理解・自己受容を深めてくれるかもしれません。

長くなりましたが、お付き合い頂きどうもありがとうございました。

これからの一年が、あなたにとって素晴らしいものになりますように☆


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?