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社会人大学院生つれづれ①

ただいま大学院の修士課程2年目、万事うまく進めば来年3月に卒業予定。

フルタイムて働きながら大学院生をしている経験を全く記録してこなかったことに気付き、ゴールがうっすら見えてきた段階ながらも、忘備録として記録しておこうと思い立ちました。どこまで続くかわからないけれど、まずは始めてみます。

そもそも進学しようと思ったきっかけは、祖父母が亡くなったこと。2020年12月に祖母が亡くなり、後を追うように2021年1月に祖父が亡くなりました。2人とも亡くなる直前まで比較的元気に過ごしていたので、亡くなったことはとてもショックでした(もっとも、お通夜やお葬式諸々は、聞こえない母の通訳をしなければいけなかったので、そちらが気になり、悲しむ余裕もなかったのですが)。

2人とも昭和一桁生まれで、田舎のコミニュティで専業農家として80代まで現役でいた祖父母。娘(私の母のこと)が聞こえなくなり、大変な苦労をしたと思うのですが、2人とも驚くほど柔軟でした。母の教育を受けてきた年代は手話を否定し、聞こえる人に追いつくように言われていた時代なので、親世代もその影響を強く受けている人のほうが多いはずなのですが、祖父母からは全くそんな印象を受けませんでした。手話はできませんでしたが、母のすることに反対することもなく、「やりたいならやったらいい」と、とても開けた考えの2人でした。

ぼんやりと大学院に行ってみたいという思いはあったものの、具体的な行動は全くしていませんでしたが、お通夜やお葬式という非日常の時間を祖父母と過ごして、祖父母に背中を押されたような気がしました。

日常に戻り、行けそうな大学院を探し始めました。フルタイムで働いているので、通信制の大学院で、かつ私のやりたいことに近いことをしていそうな先生がいるところは2校。探し始めたのは1月、入試は2月。今思えばもう少し余裕を持って探し、事前に先生と面談して決めるほうがよかったのですが、当時はそんな時間も知識もなく「ここにしよう!」と勢いだけで決断し、書類を揃えて提出しました。

私の大学院に進学したいという希望について、夫は「好きなようにやったらいいよ」、息子たちは「母ちゃんがまた何やら始める気だ」という反応。夫は私のすることには反対することはなく、常に応援してくれる姿勢なのがとてもありがたかったです。

続きます。

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