家族

小学校入学までは千葉に住んでいて、家族構成は僕、姉、母、単身赴任の父の、核家族でした。
母親は毎晩飲んだくれていました。缶ビールを飲み、それを飲みきらないうちにまた次の缶を開けます。それを自分で片付けず、週末になると私と姉に「片付けておいてね」と言ってどこかに出かけてしまいます。
毎週、姉と一緒に飲み残しの処理をします。キッチンと部屋の往復が面倒で、飲み残しを2リットルのペットボトルに移し替えてからシンクに流していたのですが、飲み残しの量が多く、毎回そのペットボトルの7割くらいがビールで満たされます。

母はいつもバラエティ番組を見ていて、家での会話は特になし。私は昔からゲームが好きだったので会話がなくても特に困らない……と言いたいところですが、母が帰ってきたらゲームしちゃダメというルールがあったので、私もテレビを見るくらいしかやることがありませんでした。
たまーに「ちょっち行ってくるね」と言って飲み会に出かけるので、その時は遠慮なく夜遅くまでゲームを堪能していました。
これだけ見るとクズ親ですが、普通にいいところもあります。門限を過ぎると叱ってくれたし、料理は不味いことを自覚しているから総菜を買ってきてくれるし、毎日洗濯はしてくれるし、話しかければ普通に答えてくれます。
育児放棄や暴力の類はなかったので、幼少期は母親のことを好意的に見ていたと思います。

姉は私より2歳年上で、姉もゲームが好きでした。というか、それ以外にやることがなかったのだと思いますが。一緒にゲームをするくらい仲が良かったのですが、姉は後にジャニオタにジョブチェンジし、私にとっては地獄の日々が始まります。
また、喘息もちで何度か入院していました。私が小学生になると同時に千葉から新潟に引っ越しましたが、それは田舎の方が空気が良くて喘息の症状が和らぐのではと考えたからです。

父は単身赴任で、年に数回しか帰ってきません。父は羽振りがよく、ものをねだると基本的には何でも買ってくれましたが、ゲームだけは誕生日かクリスマスにしか買ってくれませんでした。あとは、よく寿司屋さんに連れて行ってくれたりもしたので、いつも父の帰りは待ち遠しかったし、仕事に戻る日は寂しかったです。
ただ、私が物心ついた頃から夫婦仲は悪く、基本的にはお互いに口を利かないようになっていました。父が帰って来ると嬉しかったですが、同時に気まずくもありました。

当時のうちの家族はそんな感じです。

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