それってつまり"こういうこと"を言ってるわけで言ったせいで"こういうこと"になってるんだよ。


つくづく「何が伝わったか」が全てだなと思う。

私的な考えだけれど「(誰かに)伝わった。伝えられた。」という事実の背景にはどう考えて話したか、どういう背景があったのか、タイミングは?口調は?使った言葉は?色々な要因が混ざってその偶然に辿り着くんだと思う。



こういう要因なんだよ!こういう背景なんだよ!
と必死に伝えてくるのはナンセンスだなって


後出しだったら余計にセンスがない。




となるとまあ伝えるも伝わるもとても難しい。

伝えようとしていくうちに元々の形がゆがんでしまっていくこともあるし、
歪んだと思っていたらただ見る方向がちょっと変わっただけだった。ということもあるし。

円錐って上から見たら丸でしょ、でも尖ってるでしょ。そういうかんじ。

何もしてなくても伝わってることもあるし。


私は色んな伝え方を探したり知るのが好きだ且つかなり執着してる。
見え方伝え方は結果うまくいった。しかないからの。こうしたらうまくいくよ、はないんだ。
だから「言葉を尽くす」っていう文があると思ってる。

(自分のためだけの文章をかくのはとてもとても楽しいけどね。この感覚がなくならないようにしたい。)

だからね、大事なこと大切なことは凄く慎重になるんだ。
変に言葉にするとこぼれ落ちてしまうんじゃないか、「違うよ〜」ってそのもの自体がどっかにいってそれっぽい何かに覆われてしまうんじゃないかって。
怖い怖い。
たくさん伝え方探してきたから前よりは苦しまなくなったけど、まだまだまだまだだ。






面倒な性格だからかな
大事なこと大切なことを慎重に伝えようとせずにただ伝えればいいと伝わるだろうとしている人の傲慢さがとんでもなく許せなくなることがあるんだ。



ま、それを言ったところで意味はないけれど。





ただ言いたかっただけ。


こ まめ

ここまで読んでくださったのですか、優し過ぎる…。 多分あなたは凄く優しいので自信を持った方がいい。