灯されるじかん
小さなガラスのキャンドルホルダーにきらめく温かな光
ゆらゆらと形を移ろわせる影
それはまるで花びらが風にゆらゆらと揺れているように優しくやさしく
暗闇の中で灯されていた
小さな絵本を開くと
「お帰りなさい。今日も1日お疲れ様でした。
今日はどんな1日でしたか?」 と書かれていた
なんだかその言葉を読んでいるうちに私は少し泣いてしまった
おかえりなさい
一人暮らしを始めて、日常から消えてしまった言葉
当たり前ではなくなってしまっていた言葉を目の前に
どうしようもなく温かな気持ちになった
私は、揺れ動く灯を眺めながらここ1・2ヶ月間の自分を思い返していた
「仕事をやめます」
そう上司に告げたのは24歳になった翌週の月曜日の朝だった。
初めて自分で選んだことだった
そういえば、進学先も住む場所も毎日の食事も日々の習慣でさえ
家族、友人、関わってくれた人たちによって作られていた様に思う。
自分で決めたことなんて
黄色いお弁当箱、初めて楽器屋さんで買ってもらったエレキギター、大学で初めて買ったピアッサー
そんなものしか思い付かない。
大事なことは何一つ自分で決めれないたちだったから
”やめる”という行為を決めた時
不安と先々の恐怖に押しつぶされそうな気持ちになった
何も悪いことをしていないのに、罪人の様な気持ち。
誰も死んでいないのに、誰かを亡くした様な気持ち。
また体調を崩した
駅のホームで泣き崩れた、仕事場で吐き続けた、大切な人たちに尖った言葉を投げつけた。どうしようもなく力が抜けていくのがわかった
ある人には「双極性障害」に近い症状があるとまで言われた。
自分の自信なんて、かけらもなくなってしまった
苦しくて、嫌われても当たり前だ、一人で生きていくんだ。
でも一人で生きる自信なんかないから
いなくなってしまいたい。いっそ生きることもやめてしまいたいと思った
そんな時、ある人から
「あなたは本当に甘えるのも、自分を愛でることも下手くそな人ね。
私が一緒に逃げてあげるよ。”私たち”と引っくるめて褒めてあげる。私たちたくさん頑張ってるもん!私たちって凄いよね!」
そう言ってもらえたのだ。
私は、また足を少し前に出せるようになった
きっと
これからもこんな風に人に生かされて生きていくんだろう。
そして
自分も誰かにとってそんな存在でありたいとおもう。
その為にはきっと自分が自分を満たしてあげることが必要なのだと思った
今度は自分自身で「自分のための暮らし」を作りたいと思った。
そこから、他の人の気持ちにも小さな小さなきっかけを与えられる様なことを自分が作っていきたい。私にしか出来ない形で周りの人を幸せにしたい
そんな風に思うことができたのだ。
今日は「アカリノタネ」という素敵な会に参加した時のお話。
その空間は、私の存在をただ認めてくれた、そこにいて良いんだ、素敵かどうかではなく。そう生きてきたんだねと、認めてくれた。
その場にいた人は、名前も何をしている人かもいくつなのかも知らなかった。でもただ、みんな各々の世界で生きていた。灯の数だけ生活があった
それを知ることが出来ただけで
私は私として生きていることを実感出来たし、これで良いんだと思えた
素敵な時間をどうもありがとう。
これからも、アカリノタネに
また「お帰りなさい」と言ってくれるあの場所で
足を運んだ人たちの心が灯されます様に
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