短編小説「とある一日」
とある日が昔から大嫌いだった。
夏休みの合間にぽっかりと現れるその日は、用事があろうが風邪を引いていようが不登校気味であろうが、絶対に学校に行かねばならず、もちろん教師にしばき回されて地域から後ろ指を指されて村八分にされる勇気があれば休めなくもないのだけど、おおよそ成長期の子どもにそんな勇気などあるわけがないので、否が応でも学校に行かねばならない。
夏の絶望的な暑さの中、蝉の声が狂ったように響く田舎道を、泥に嵌ったような足取りで進まされるのだ。
その日、朝ごはんを食べてくるのは、まだ何も知らない小学校の1年生くらいか、もうすっかり慣れて心が鉛のように鈍感になった高校生くらいで、だいたい小2から中3までは朝ごはんは食べない。
せめて水分と塩分だけは取っておこうと、麦茶と梅干しくらいは口にするのだけど、その梅干しでさえ食べたくないような、喉の奥になにか粘体の怪異が詰まったような、そんな憂鬱さがあるのだ。
それでも久しぶりに同級生たちと顔を合わせれば、安堵なのか、気休めなのか、それとも社交辞令というものなのか、あるいは死刑執行前の強がりなのか、お互い夏休み中をどう過ごしていたかなどと話したりする。
それも10分ほどで終わってしまうのだけど。
8時0分ちょうど、教室のドアが横に滑り、教師がやってくる。
普段は大なり小なり舐められがちな教師も、この日は心構えや姿勢が違う。なにか別の職業、見たこともないし詳しくもないけど外国の宗教にそういう役職がありそうだなって厳しい雰囲気で、平和について淡々とご高説をぶちかましてくる。
もちろん私語は厳禁だ。顔に痣を作りたいなら喋ればいい、ただし今日のこの日に関しては一切の苦情は受け付けられない。
この町、もしかしたらこの国かもしれないけど、少なくともこの地域にとっては、平和は何よりも重いのだ。当然、男教師の打ち下ろしの右ストレートよりもずっと重い。子どもの健康なんかよりも遥かに重い。
愚かにも私語を口走った男子が殴り倒される音を聞きながら、平和についてのご高説を耳に詰め込まれていく。
いわく、戦争はよくない、とか、武器を持ってはいけない、とか。
8時15分、1分間の黙祷。
死んだ人に祈る、それはわかる。お墓や仏間で先祖に祈るのと同じ。これは大事なことだ。
家でもいいんじゃないかな、と思わないでもないけれども。
8時20分、エアコンすらないサウナのような体育館に連れていかれる。
酷く恐ろしげな、恨み100パーセントで形成されていそうな呪いの歌を聞かされて、その直後に呪いの歌を歌わされる。
歌わなかったら? 顔に痣を作りたければ口を噤めばいい。
8時30分、スクリーンに映る恐ろしい映像をみんなで見る。
はっきりいって見たいわけがない。
こんな恐ろしい阿鼻叫喚の映像を見ても、身につくものは心の傷くらいしかないのだけれど、目を背けることも耳を塞ぐことも決して許されない。
戦争の悲惨さを知るのは子どもの義務だからだ。
9時、教室に戻って死体の写真集を強制的に読まされる。
当然、中には泣き出す子もいるが、無理矢理に力ずくで目を開かされて、
「見なさい! これが戦争なのよ!」
と女教師のヒステリックに叫び声を耳に流し込まれる。
どこかの国に、こういう種類の拷問がありそうだなと思いながら、半分骨が剥き出しになった写真に目を落とす。
10時、基本的に「戦争はよくない」以外は書くことを許されない感想文を書いて、ようやく解放される。
と思いきや、解放されるのは小学生までで、中学生や高校生はバスに乗って移送される。
何処に? そうだな、強いて名前を付けるとすれば、教師たちにとっての【聖地】にだ。
2時間ほどかけて辿り着いた聖地には、先程の映像や写真よりも恐ろしい資料館があって、精巧に再現された蝋人形や髪の毛や皮膚や遺品が幾つも飾られている。
それをゆっくりじっくりたっぷりと摂取させられて、炎天下の下、熱中症の危機に晒されながら広場で食事を摂らされる。
もちろん誰も食欲などない。平然と飯を食う教師たちは、きっともう頭がおかしくなっているのだろうけど、そんな指摘をする元気もなく、ただただもう帰りたいという気持ちに支配されて、いっそ暑さで気絶でも出来たら楽だろうなと考えてしまうのだ……
そんな夏のとある一日は、しっかりと心の傷として精神の奥底に刻み付けられて、今年のその日も、そんなことがあったなあと思い出してしまう。
エアコンの利いた部屋で見るパソコンの画面には、厳かな式典が映され、たまに平和の象徴である鳩が横切り、会場の外では自称平和を愛する連中が馬鹿みたいに大声で喚き散らしている。
子どもは私語すら許されなかったというのに、大人というのは勝手なものだ、と同じ大人になった今でも思う。
そしてこいつらの誰一人として、「戦争はよくないというけれど戦争を起こさないためにはどうすればいいのか」という当たり前の疑問には答えられないのだ。
ヒステリックに「戦争はよくない!」「嫌だ!」と叫ぶのが答えとして許されるなら100点満点なのかもしれないけど、そんなこと言っても起こる時は起こるので、採点させてもらえるならばマイナス100億点だ。
「遺伝子からやり直してこい、馬鹿が」という感想も添えていいだろう。
今年のこの日もシュプレヒコールが響いている。
静かに黙祷も出来ないなら、そいつはもう死んでもいいんじゃないかなあ、と思いながら、バニラアイスを齧って平和を願うのだった。
(おしまい)