恵方巻きは全方向を向く

さて、私の在籍する芸術大学の作品展の搬入まであと僅かとなりました。

私の大学は、卒業制作の作品だけではなく、全学年の進級制作の作品も展示いたしますので、大学内は大変なエネルギーに満ちています。

とはいえ、どんなに忙しかろうと節分はやってきて、搬入はどんどん迫ってきます。

私も、最後の作品の制作と作品展の準備のために泊まり込む心意気で学校にやってきました。
何をするにも「最後の」という枕詞がついてしまうのは4回生の性分なので見逃してくださると嬉しいです。

節分に語るべき食べ物と言えば、恵方巻きか豆のどちらかで異論はないと思います。
私はおしゃべりをこよなく愛している故に、恵方巻きを黙って食べきったことがございません。
今年も恵方巻きをいただこうか迷っておりました。しかし、もし恵方巻きを黙って食べられなかったことが運のツキとなり、最後の作品展の搬入中などで鬼に遭遇してしまったら元も子もありません。
私は恵方巻きより卒業を優先いたしました。

各々が自分の信じる物の制作を進める中、実家通いのMちゃんのお母様が大学まで差し入れを持ってきてくださいました。
それは、手作りの恵方巻きでした。

「一人で全部は食べ切れない…」とMちゃんが手にしていたのは、牛すじの恵方巻きです。
私は今まで手作りの恵方巻きなど食べたことがなく、大変興味深く思いました。また、食事をすることによってMちゃんが救われるのであれば本望です。

同じ部屋で制作を進めていたKちゃんと半分こし、西南西を眺めながらいただきます。
しかしながら、身近な人の手作りを頂くというのに何も感想を言わないだなんて、あまりにも無粋です。
それに、美味しいものは美味しいと言ったほうがすっきりしそうなものですのに、「美味しい」と言われることなく胃袋に届けられてしまうのは、恵方巻きとしても不本意なのではないでしょうか。可哀想です。

また、もし、喋らずに食べ切ると決めていたとしても、無理でした。

柔らかく煮込まれた牛すじが、優しく控えめな酢飯に包まれているのです。一口食べただけで感嘆の声を抑えることはほとんど不可能でした。
鮮やかに茹であげられた人参、出汁のきいた卵焼き、ヴェールのようなレタス、そして手で巻かれしっとりとした海苔…
あまりのクオリティーに驚いて南東に立っていたMちゃんを見てからは、私もKちゃんも方角のことはすっかり忘れて四方八方に喜びを表現してしまいました。
手間を込められるだけ込められた恵方巻きは確かに母の味で、下宿生として暮らす私とKちゃんはあと少しで寂しいほどの美味しさに泣いてしまうところでした。

Mちゃんのお母様の恵方巻きが、恵方巻きの持つ栄養素以上の活力をくださったことは間違いのない事実でしょう。

今年もとうとう、おしゃべりせずに食べきることは出来ませんでした。
ですが、私は今まで鬼にお会いしたことはございませんし、恵方巻きをお話しながら食べてしまったところで心配は無用と考えても大丈夫なはずです。

研究室の学友との別れも、もうすぐそこです。
恵方巻きだって、自身をきっかけに感動とコミュニケーションを与えることが出来たのですから、ご加護をくださることでしょう。

食べ物とのつながりは人とのつながり。
私の身体は今日も、愛すべき人たちの手で作られる、愛しい食べ物でできてゆくのです。

ごちそうさまでした。

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