ミュージカル『CATS』と自問自答ファッションの『コンセプト』
ネタバレなどあるので、本編を観てから読むことをおすすめします。
四季版
字幕無しで大丈夫ならYouTubeにも公式動画あり
こちらの本もおすすめ
分かりにくいと言われるCATSについて詳しく解釈してあります。こちらを読んでからもう一度観ると全然違ってみえると思う!
数年前に公開された映画版については、物申したい事があるので後述します。
一番好きなミュージカルが『CATS』である。
中学か高校の頃に出会ったのだけれど、観に行ける環境では無かったので、CDと本を何度も繰り返し聴いたり読んだりした。
大学時代は公演に通いやすい場所だったこと、学生料金や見切れ席みたいなものもあって、結構通った。感想を文字や絵で記録し、各国のCDを求めて都内のタワレコをはしごした。外国語が苦手で聴き取れもしないのに沢山聴いた。好きなのはウィーン版とフランス版です。
あと絵本めっちゃかわいいのでおすすめ!
『CATS』の内容は分かりにくいという話をよく見かける。確かに、一見ハッキリしたストーリーが無いようにも思える。
ざっくりいうと、「年にいちどの猫のお祭りの日、猫たちが集まって舞踏会を繰り広げる」「そのお祭りのラストには、永遠の命を得られる猫が1匹だけ選ばれる」というもの。
出てくるのは猫だけ、台詞はほぼ無く、どんな猫かを紹介する歌とダンスだけで構成されている。原作がTSエリオットによる「猫の詩集」であり、本来はひとつひとつの詩にそこまで繋がりが無いことや、エリオットの造語、地名、食べ物などがてんこ盛りに出てくるので、余計にわかりにくくなっている(それらについては最初にリンクを貼った池田雅之さんの解釈本が本当に分かりやすいのでおすすめです)。
こちらは原作の日本語訳↓
舞台に出てくる20数匹の猫のうち、自己紹介をするのはメインの一部だけで、その他の猫は名乗りもしなければ名前を呼ばれる事もない。けれど、舞台には殆どの猫が出突っ張りだ。キャスト表やパンフレットを見て、ようやくその名前を知る事ができる。しかも大抵が聞き慣れない名前なので、覚えるのに時間もかかるかもしれない。マンカストラップ、コリコパット、ボンバルリーナ、ジェリーロラム…。私は「オールドデュトロノミー」を覚えるのに時間がかかった。呪文かと思った。ちなみに四季版の推し「カーバケッティ」はソロで歌う事の無い猫だ。でもめっちゃ好き。ちなみに四季版と1998年映像版では微妙に名前が違っていたり、同じ名前でも違う猫なのでたまに混乱する。CDを聴く限りだと各国でまた微妙に違いがある気がする(現在は分からないが)。
最初は猫のメイクなど見た目にギョッとするかもしれないが、動きが猫なので、観察が楽しくなってくる。初めはメインキャラクターに注目が行くが、何度か観ているうちに、メインではない猫たちが気になり始める。メインの後ろでわちゃわちゃしている猫たちが可愛いんだもん。メインキャラクターたちは大抵自己紹介してくれるし、舞台でも見分けが付きやすいのだが、メインではない猫になると舞台で探すのに苦労する。しかし楽しいのである。そうなると沼です。ようこそ。
CATSは「名前」がキーワードのひとつになっている。「猫には3つの名前が必要なのだ」という。
身近にいる猫たちは、たとえば日本ならタマ、ミケ、トラ…など、人間が付けた名前で呼ばれている。しかしそれは1つめの、平凡な、普通の名前であるとのこと。
2つめの名前は、その猫らしさを体現した名前。ジェニエニドッツ、ラム・タム・タガー、マンゴジェリー、ランペルティーザ、グリドルボーン、スキンブルシャンクス、ミストフェリーズ、そしてグリザベラ。それでも十分個性的だと思うが、猫にとってはそれでは足りないという。
3つめの名前は、人間には決して分からないもので、猫がじっと瞑想している時は、その「はかりしれない唯一無二の名前」について考えているのだという。
自問自答を始めてから、コンセプトってこの「名前」に似てるのではないか?と思ったことがある。
1つめの名前は、親の付けてくれた本名や自分で付けたハンドルネーム。普段の生活やネット上で人から呼ばれることの多い名だ。
2つめの名前は、名は体を表すコンセプト。自問自答をして作るコンセプトだ。しかしそれは(仮)にすぎない。
そして3つめの名前は、変わっていくコンセプトなのではないか。コンセプトは少しずつ変化するのではないかと思う。何故なら時間に伴って身体は変化するから。身体が変化すれば生活や思考も変化するだろうし、コンセプトにも微妙な変化はあるかもしれない。勿論変わらない部分もあるだろう。それらが組み合わさって新しいコンセプトができる。新しい名前が見つかる。その変化も含めて唯一無二となっていく。
猫と同じように「唯一無二の名前」について人間も自問自答をして考える時間が必要なのかもしれない、とも思った。
原作でも劇中でも「猫と人間は似ている」と言っていたし。
そしてCATSといえば、有名な歌が「メモリー」である。今は年老いてみすぼらしい姿となった、娼婦猫のグリザベラが、美しくて幸せだった過去を偲んで歌う曲。
劇中では何度か、そのリズムやフレーズが繰り返されている。
そのひとつが「幸福の姿」と四季版では訳されているナンバー。長老猫のオールド・デュトロノミー、子猫(四季版はシラバブ、1998年映像版はジェミマ)、そして全員が歌う。
CATSの歌詞はほぼ、猫の詩集がそのまま使われているが「メモリー」や「幸福の姿」はエリオットの別の詩から取ったという。
本当の幸せを求めるならば、過去の経験(思い出、メモリー)を辿り、別の形でその体験を甦らせてごらん。それは新しい体験、命となって、あなたの一人の体験ではなく、もっと多くの人や、時代を超えての体験となり、それが本当の幸せと繋がるのだ…みたいな哲学的な内容です(元の詩がそう)。
私はこのナンバーが一番好き。
過去の体験は、良いものも悪いものもあるけれど、それを「昔は良かった」「昔は辛かった」と自分の中に仕舞ってぐつぐつと思い返しているだけでは、きっとそれで終わってしまう。過去の体験を辿っていき、note等でアウトプットするなど、別の形で甦らせることで、新しい気付きが生まれる。そしてそれらを読んだ人たちの中に、また新しい気付きが生まれる事もあるかもしれない、みたいな。
あきやさんのこの記事や、
自問自答しての自分語りってこういう事なんじゃないかなと思った。
劇中でも、「幸福の姿」を歌った後、アスパラガスという名前の年老いた役者猫が「昔は良かった」と語る歌がある。けれど彼は唯一無二の猫としては選ばれなかった。彼はひたすら過去の栄光を懐かしんでいるだけだったからだろうか。
唯一無二の猫として選ばれた、グリザベラの歌う「メモリー」についても、一度目にひとりで歌う時は「昔は良かった。昔に返りたい」としか歌っていない。
その後、長老猫が「幸福の姿」について歌い、生まれたばかりの子猫もそれについて歌う。内容は「思い出を振り返ってごらん、そこで幸せに出会えるわ、それは新しい命よ」というものだが、リズムはグリザベラの「メモリー」なのである。その部分を他の猫たちも合唱する。私の記憶が正しければ、グリザベラも舞台上の離れた場所で、ひとりそれを聴いていた(私が見た時の四季版ではあったはず、映像版は無いかも)。
そして舞踏会の最後、グリザベラがもう一度「メモリー」を歌う。曲のベースは一度目と同じだが、子猫の言葉もあって、過去は良かったとしつつも、明日へ向かうのだという力が込められていた。
これ、演歌バッグを買う時の心境と似てない?
私が歌う演歌は「メモリー(リプライズ)」にするかもしれない。鎮魂と明日への希望の歌。
ここで少し蛇足になるが、2019年(日本は2020年公開)の映画版では「幸福の姿」を長老猫がひとりで小さく呟くように歌うシーンに変更され(子猫や皆に共有されず)、子猫は「メモリー」ではなく映画用に有名な歌手が書き下ろした別の歌を歌うという流れになっていた。それでは最後の「メモリー」に繋がらず、皆がグリザベラを受け入れる動機にならないのではないか、と私は思う。(一度しか観てないので朧気な部分もあるかも。つらくて一度しか観られなかった。)
舞台(1998年映像版含む)では、最初にグリザベラが提示した「メモリー」を受けて、長老猫が「幸福の姿」を皆の前で歌い、「メモリー」の曲に合わせて「幸福の姿」が子猫によって歌われ、皆がそれを唱和する。そして最後にグリザベラが「メモリー」の完成形を歌い、皆がそれを受け入れる…という構成があったが、映画では尽く破綻しているように感じられた。物語の一番の根幹を壊したのではないかと残念に思ったことを記しておく。
CATSのテーマのひとつ「唯一無二の名前」と「幸福の探し方」、それは自問自答のコンセプト作りにも繋がるのではないかな〜と思ったので、ざっくりですが書いてみました。
あと、端折られている事が多いのだけど、「猫と犬は違うが、同時に猫も犬も等しく土に還る」という諸行無常みたいな歌詞もあったりする。
最近の四季版舞台はランパスナンバーが復活した?そうで、そうすると「犬も猫も等しく土に還る」的な歌詞が出るのかな?ラストの挨拶ナンバーにある「猫は犬とは違う」に繋がりやすくなる気がする。
ぜひとも舞台か1998映像版、そして池田先生の解説本に触れてほしい!です!
何度観ても新しい発見があるCATSが大好きだ〜!
追記:トップの画像はお気に入りのCATS関連のもの。これも「メモリー」ですね。
通った当時公演パンフレット、聴き取れないけど歌唱力半端ないウィーン版CD、映像版DVD、池田先生の本2冊、自分で描いた絵も懐かしいものです。