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推し俳人の句好き勝手鑑賞

コンセプトに『俳人』が入っていたにも関わらす、あんまり俳句の話してなかったなと思ったので書いてみます。最近、自問自答ガールズの間で俳句が熱いっ!

私の推し、そして目標である「高野素十(すじゅう)」という俳人の、句集『初鴉』から10句選んでみました。タイトル通り好き勝手に鑑賞です。間違っている所もあるかも。でも楽しかった〜!そしてあらためて好き〜!!ってなりました!




『探梅や枝のさきなる梅の花』
季語は「探梅(※)」。そろそろ各地で梅が咲き始まっているのではないでしょうか。
そろそろ咲いたかなと梅を探しに行く。ぱっと見、茶色の枝ばかりだけれど、それをずっと辿っていくと、枝の先の先に…あった!ぽつんと小さく咲いている梅の花を見つけた。まだまだ寒いけど、春はちょっとずつ、確実に近づいているんだなと、その小さい花を見て気持ちが少し暖かくなった。
※「探梅」は句集『初鴉』では春の部にあったのですが、冬の季語。


『野に出れば人みなやさし桃の花』
春のぽかぽか陽気に誘われて、お気に入りの春コートを羽織って野原に出かける。犬の散歩をしている人、駆け回る子供たち、仲睦まじく歩く人、知らない人たちだけれど、周りに「桃の花」もきれいに咲いていて、なんだか穏やかでやさしい空気。思い切って外に出てみれば、意外とやさしい人は多いのかも。
別の句集からだけど「たんぽぽのサラダの話野の話」もなんか可愛くて好き!


『春泥に押し合ひながらくる娘』
季語は「春泥(しゅんでい)」。泥は通年あるけれど、梅雨時期のじめじめした泥や秋〜冬の雨で冷え込んで来た時の泥とはまた印象が違う感じ。柔らかな春の雨が上がって、道の向こうから女の子たちがきゃっきゃとお喋りをしながら歩いてくる。足元の泥を避けて、時々押し合ったりもして。楽しそうだな、そういえば自分もそんな時期があったな、あの頃って特に何か面白い事があった訳でなくても楽しかったんだよな、なんてちょっと懐かしくなった。


『風吹いて蝶々迅く飛びにけり』
季語は「蝶々」。春に吹く風は穏やかな事もあるけれど、「春一番」というものもあるくらいだし、意外と風が強かったりする。人間でも風、つよっ!と思うくらいなので、ふわふわの蝶々にとって風、つよっ!ってなること沢山ありそう。風、つよっ!となりながらもその風に乗って速く飛ぶ蝶々。風に乗って加速できたらいいな。


『夜桜の一枝長き水の上』
季語は「夜桜」。昼間、青空の下で見る桜も素敵だけれど、夜の桜もなかなかに好き。ライトアップもされていたりしますね。ここの夜桜は果たしてライトアップされているのか否か…されていないんじゃないかな〜と今回は思ってみました。
夜の闇にぼうっと白く浮かんで見えたのは、満開の桜を付けた枝。すっと長く水の上すれすれにあって、時々夜風に揺れている。道の上ではなくて水の上だからか、余計、そこには何かが潜んでいそうで、何かが出てきそうで、ぞくぞく、ちょっと怖い気もする。



『くもの絲一すぢよぎる百合の前』
季語は「蜘蛛」と「百合」。2つあるけど、蜘蛛の方が強そうかな
綺麗な百合に惹かれて近寄って見ようとしたら、その前にスッと一筋の蜘蛛の糸が光った。一瞬ドキッとする。細くて頼りない、たった一本の糸なのに。私はそれ以上その百合には近づけなくなった。


『翅わつててんたう蟲の飛びいづる』
季語は「てんたう蟲(天道虫)』。虫、そんなに好きではないけれど、天道虫、可愛いと思う。あのまんまるさ。あのサイズ。赤に黒のドット柄。ぱかっ!と音がしそうだ。まんまる可愛いてんとう虫が飛び立つ瞬間、背中をぱかっ!と割って翅(羽)を出して飛んでいく。あっ!飛んだ!と思った頃にはもう遠く。



『まつすぐの道に出でけり秋の暮』
季語は「秋の暮」。秋の夕暮れのこと。秋ってなんとなく物悲しくなるのに、夕暮れはもっと、なんだかさみしい。ちなみに「暮の秋」になると秋の終わりの頃となる。
秋の夕暮れ、まっすぐの道に出た。道がまっすぐであると分かるのは、周りに遮るものがなくて、がらんとしているから。秋の夕暮れ。日はあっという間に沈んでしまう。どうしようもなくひたすらに寂しい。早く帰りたいな。帰れるのかな。



『雪片のつれ立ちてくる深空かな』
季語は「雪片」。雪の欠片。
あ、雪が降ってきた!ひとつこぼれてきたと思ったら、次から次へと連れ立ってやってきた。これからどれくらい雪たちは来るのだろう?空は奥が見えない深い色。その深さに吸い込まれるように、雪の中、空を見ちゃうんだなあ。


新年
『ばらばらに飛んで向うへ初鴉』
新年の俳人は忙しい。新年、初めて電車に乗れば「初電車」。旅に出れば「初旅」。電話をすれば「初電話」。メールをすれば「初メール」。新年の空も初空。昨日はただの鴉だったのに、新年は「初鴉」と呼ぶ。なんでも初って付けちゃう。たしかに「あけおめ」メールするし、今年初めての旅行!ってなんとなく心が浮き立つ。なので、新年の鴉「初鴉」もおめでたい感じがするのだ、たぶん。
新年に見かけた鴉がばらばらっと向こうへ飛んで行った。
それだけといえばそれだけ。でもそこから、華やかな感じがするな、自由な感じがするなと感じる事もできる。

素十俳句はそのままの俳句とか言われたりするそうだ。
けれど、大したことない、普段見逃している事って沢山あって、そういった細かい所に気付いて、そのまま表現するってすごく難しいと思う。言われて初めて、そういえばそういう事あったなあとなる。ばらばらに飛んでいった鴉なんて、今まで何回も目にしているはずなのに、あらためてそれをキャッチするってすごくね?と、いちファンは思うのであった。

素十先生の句、昔の人なのもあって難しいのも多かったりするのだけど、もし、興味のある方はこの本とか解説が読みやすくて好きです。