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ゲリジム山とエバル山
この二つの山を巡って、マソラ学者とサマリア教団の見解がまっぷたつに割れています。
サマリア人がシェケムにあるゲリジム山を崇拝の場所としているのは、ヨハネ福音書の中にも出てくるとおりなのですが、この部分が論争点なのです。
実際に問題となる聖句を引っ張ってきて見てみましょう。
(すみません。私は元エホバの証人なので、引用は新世界訳からです。)
申命記11章29節「それで,あなたの神エホバがその土地へ,すなわちあなたが行って取得しようとしている所へ携え入れてくださったなら,その時あなたは,ゲリジム山には祝福を,エバル山には呪いを述べなければならない。」
モーセに与えられた指示には「ゲリジム山には祝福を,エバル山には呪い」
というものがありました。
(ゲリジム山は肥沃で美しく、エバル山は岩でゴツゴツしているそうです。)
さらに、この二つの山に関して次の指示がなされます。
申命記27章2節~4節「そして,あなた方がヨルダンを渡ってあなたの神エホバの与えてくださる土地に入った日,あなたは自分のために大きな石を立て,それを石灰で白く塗り上げなければならない。そして,渡り終えた時に,この律法のすべての言葉をその上に記すように。これは,あなたの神エホバの与えてくださる土地,乳と蜜の流れる地に入って行って,父祖たちの神エホバが話されたとおりになるためである。そして,ヨルダンを渡った時,あなた方はそれらの石を,わたしが今日命じるとおりにエバル山に立て,それを石灰で白く塗り上げるように。」
律法の石をエバル山に置くという指示です。
さらに……
申命記27章5節~8節「あなたはまた,そこにあなたの神エホバへの祭壇,石の祭壇を築かねばならない。その上に鉄の道具を振るってはならない。自然のままの石であなたの神エホバの祭壇を築くべきであり,あなたの神エホバへの焼燔の捧げ物をその上にささげるように。また共与の犠牲を犠牲としてささげてその所でそれを食べ,あなたの神エホバの前にあって歓び楽しむのである。そしてあなたはこの律法のすべての言葉をそれらの石に記して,それを非常に明りょうにしなければならない」
エバル山に祭壇を置くという指示です。この指示はヨシュアによって実行されたとされています。(ヨシュア記8章30~)
ここはとても重要な場所として意図されており、律法の書かれた石が置かれ
犠牲も捧げられる場所でした。「歓び楽しむ」とまで書かれています。
この指示にあるエバル山というところが、『サマリア五書』ではゲリジム山となっています。それで、サマリア人は勝手にこの部分を変えたのだと言われています。『サマリア五書』では「ゲリジム山に祭壇を築く」という指示は『マソラ写本』とは違い十戒の最後にも挿入されています。
しかし、重要な祭壇が、呪いを述べる目的のエバル山に本当に置かれたのでしょうか? それに、サマリア人が勝手にエバル山をゲリジム山に書き換えることに、どんな好都合があったのでしょうか? サマリア関連のことを調べてると、興味深いことが見えてきます。
この話、続きます。