055 生き続けると、すべてが年下になる
■92歳で亡くなった父方の祖父が晩年よく話していたこと
「よしぼう(私)、じいちゃんの友達はもうほとんど死んだとよ。あとは病院か施設か。デイサービスのカラオケでも女は30人もいるのに、男は2、3人。だから、モテモテよ」
■年輩男性でよく話す高校野球ネタ
「幼少期、夏の甲子園は憧れのお兄さんたちだったのに、今や、プレーするあの子たちのお父さんの歳になってしまった。いや、じいさんか」
■自分が過去に勤めた会社社長がポツリ
「50代になると、自分が若手のときにお世話になった大手企業の先輩たちがすべて定年退職を迎えた。その会社につながりのある人が誰もいなくなった。さびしい」
私は52歳。早期退職の年齢も既に超えた。同世代の働き方を横目で見てしまう。特に長男の生きざま。運動能力では弟に負けるが、唯一、頭脳だけは上。『地方の公立高校を経て国立大学や有名私大から大企業へ』という親や先生が喜ぶコースを歩んできた。地方あるあるだ。
50代ともなると、企業正社員であろうが、役所勤めであろうが、フリーであろうが、もう「現役引退」という領域が間近に迫る。
家族や周囲の他者もそういった視線を投げかけてくる。「まだまだ働き盛りですよ」という合いの手もなんかむなしい。わが子の成長だけが救いだが、自らの心身の老いは見た目、五臓六腑において着実に進行している。
今後、われわれがそれなりに稼いでいくためには武器が必要だ。「天下り先」「関連会社」「外郭団体」「100パーセント子会社」など皆様うまく立ち回っている。ただ、経済衰退やコロナ禍など、先輩が過去に受けた恩恵が保証されるかは分からない。
ちょうど、この時期の地方新聞に「新任さん」という恒例企画がある。学校長や警察署長、郵便局長、海保署長らが顔写真付きで着任の抱負を語るのだが、文末に「59歳」とか「ペットとの散歩が楽しみ」「ウォーキングが趣味」などの文言が載る。
そう、そうなのだ。社会的に偉くなる、名声を得るということは、〝現役引退〟により近くなるということでもある。
子どものころ、「名誉教授」はとんでもなくすごい人だと思っていたが、定年で大学教壇を退いた人と知ったのは新聞記者になってから。
私の武器は自著の「豆本」と取材に参加する「豆本記者」たちの存在。彼らは今、高校生や大学生だが、いずれ青年になり、私に講演の仕事を与えてくれるかもしれない。
本当に楽しみだ。
■高校野球を懐かしく見学する私
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