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55歳の私が若者に何を伝えられるのか(23)「32年前の就活」

仕事柄、就職活動中の大学4年生と話すことがよくある。今の時期はほぼ毎日、学生と話しているかもしれない。

「就活はご縁。落ちても次がある。どの会社(職種)が自分に合うか、入社してみないと分からない。また、入社しても、自分が心から希望する仕事内容に配置されるか分からない」

といった趣旨の話をする。

他人の話の引用ではなく、自分の経験からだ。

植物の力に励まされる

平成4(1992)年の就職戦線はバブル末期で売り手市場から買い手市場への転換期だった。

先輩たちの話と違う。厳しい

駒沢大学文学部歴史学科考古学専攻の私は、考古学者への道をとうにあきらめ、まったく畑違いの石油業界への就職を夢見て、無茶苦茶な就活をしていた。

若気の至り。

知り合いを通じ、民族系独立石油開発会社の人にもあった。

当然、石油業界はすべて❌。

学歴ヒエラルキーを実感した

最終試験まで進んだ経験が2度ある。

55歳の今もよく思い出す。なぜだろうか。切ない失恋の記憶のあまりにもよく似ていて、笑ってしまう。

うち1社は東京のエレクトロニクス部品メーカー大手で、その会社に入ることができると、海外赴任が約束されていると思っていた。

最終試験である面接官に「君みたいな馬力のある人材を欲しいね」と言われたが、結果は❌。

「なぜか。何が悪かったのか」

当時はそう思った。

今も思う。

10日ほど前のネットニュースに、その会社の業績悪化に伴う人員カットの話が出ていた。

人減らしのターゲットは五十代。

もし私がその会社に入社していたら、確実に…。

大田区のあの本社社屋を思い出す。

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