わが子が見ている世界
わが子が2人いるが、2100年まで生きるかもしれない。昭和44年生まれの父の私はその可能性がない。
親子とはいえ、すべてがまったく違う
つい最近、「大学」について息子と妻の3人で話し合った。息子の考え方や本音をちゃんと聞くことができた。
なるほど、そう考えているのか
初めて腑に落ちた。
息子たちの世代は間違いなく、これからの社会に主体的にかかわる人材。その先には「未来」しかない。ゆえに不安も伴う。
情報氾濫時代に身を置く息子は、自分のやりたいことがなかなか定まらず、つかみどころのないストレス状態の中で生きている。
「どうにかなるさ。俺はどうにかなった」という激励調アドバイスは逆効果
初老の私は、すべての行動や発想、着眼点、企画が「過去の行い」に起因している。常にリスク回避の思考が働き、結果的にマイナスな意見を押し付けているのではないか。
長男は年末年始、2度目のヨーロッパ旅行を経験した。ドイツやフランス、オランダの人と再会を果たし、初めて会う人とも交流してきた。
大好きな櫻坂46が昨年のパリ公演の際に行った観光地をたどる〝聖地巡礼〟も楽しんだ。
異国の地を自分の足で回り、自分にとってのこの先の何かを感じ取ったのかもしれない
5年前の最初のヨーロッパ旅行では、「飛行機に乗るのが怖い。ネットには事故の話ばかり」と恐れていた息子が、今は時間があれば、スマホアプリ「Flightradar24」を見て楽しんでいる。
着実に一歩ずつ成長している
息子に何をどう接してよいか、決定打はないが、彼自身は自分なりに考えて動き始めている。
息子も親に対し、言いたいことは言えたのか、スッキリしている。
「今よりももう少し先、できれば、その先の先を自ら思い描き、成長してほしい」
心の中でそう思っても、息子に面と向かうと、なかなか言えぬ。
他人様のお子様には言えるのだが。
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