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【進撃の巨人】捧げた心臓の行く末

(❗️原作最終回まで見ている人向けの記事となるため
未読の方はネタバレ注意です❗️)




 先日公開された『進撃の巨人 The Final Season 完結編(前編)』。そこで筆者が作中で最も思い入れのあるシーンが遂にアニメ化されたため、思いの丈を書き綴ろうと思います。
 それは、自分の推し、ハンジ・ゾエが燃え尽きるシーンです。
 自分の大好きなキャラクターの死亡シーンは、人によっては悲しく辛い感情しかないかもしれません。しかし個人的な意見ですが、ハンジの死は作中でも数少ない、読み手の心の救済があるシーンと思っています。それは、死の前後の描写が丁寧にあるからです。だからこそ私は辛く、さらに愛おしく感じてしまいました。



仲間達との心理的葬式

 ハンジが自ら超大型巨人に立ち向かうと決め、それを止められない仲間達の描写はとても自然な気持ちの流れが描かれています。冗談めかして恐怖を押しつぶすハンジ、ショックのあまりすぐに言葉が出てこない仲間達。そして飛び立った飛行艇の中から燃え尽きるハンジを見送り、爆発するように皆号泣しています。
 この描写によって読み手も感情移入し、見送り→火葬→別れを噛み締める、という葬式さながらの流れをキャラクターと共に進みます。これが素晴らしい構成だと感じています。悲しみもひとしおですが、そう感じさせられることすらも美しい構成と考えてしまいます。
 各シーンの転換点をリヴァイのセリフが締めるのも、別れを際立たせていて心を揺さぶられます。

「心臓を捧げよ」 「…じゃあな ハンジ」

進撃の巨人 132話より

 あのシーンでこれ以上に完璧な弔いの言葉を私は知りません。


隣に立つかつての仲間

死んだ仲間が見ている
 作中で度々出てくるこの言葉。もう後には引けないという意味で使われ、発言した際には後ろから静かに暗い瞳で見つめる旧友達のイメージが描かれていました。しかしハンジの死後、その言葉の意味合いが感動的なほどガラッと変わります。
 目を覚ましたハンジの隣には確かにかつての仲間が立っていますが、彼らは誰1人としてハンジを責めたりはせず、ただ温かく飛行艇の行く末を見守っていました。この描写により「死んだ仲間が見ている」の意味に「仲間が見守っている」という暖かさが一気に広がったのです。これが泣かずにおられますでしょうか、いやできません(反語)。
 なお、目を覚ましたハンジの1番側に立っていたのはモブリットでした(涙)(号泣)。


総括

 以下はさらに個人的なお話です。進撃の巨人の作中、特に地ならしが始まって以降の最終決戦(vsエレン)に向けてはあまりにも辛い現実が続いていて、読んでいる間ずっと涙が止まりませんでした。自分自身感動して泣くことはよくあるのですが、この作品に限っては「この人達を早く誰か救ってあげてほしい」と懇願し辛くて泣く、というイレギュラーな感情で漫画を読んでいました。
 だからこそ、ハンジの死亡シーンには強く感銘を受けました。丁寧な描写の末に天に召されて旧友と談笑する彼女を見て、救われた、と感じてしまったんです。結局それは、死の先で推しのありのままの姿を見られた他ならない読者の自分のことでした。
 そしてハンジ・ゾエというキャラクターがやっぱり好きだと改めて感じるシーンでもありました。時間稼ぎとして死ぬ決意をしたハンジが飛び立った時、団長の荷をアルミンに託し、彼女はただのハンジ・ゾエになりました。そうして「…やっぱり巨人って素晴らしいな」と呟いたのを聞いて、このマッドサイエンティストなハンジという人のことが好きだなと改めて感じたのです。決して幸せなシーンとは言い難いのですが、強烈な飴と鞭の展開に情緒を握られてしまったため、このシーンで幸せを感じてしまいました。

 燃え尽きていく赤から、爽やかな青空へのコントラストをこんなに悲しく美しく描いてくれたアニメ、そして生みの親の諫山先生には感謝の気持ちでいっぱいです。ハンジというキャラクターを紛れもなく愛していたと認識できた回でした。後編も楽しみにしながら、原作漫画をまた読んで過ごそうと思います。

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